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南アフリカ
  2013年9月  
 
ウィントフック ウィントフック
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ウィントフック
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The Cardboard Box
Backpackers



「INTER CAPE」のオフィス
豪華なバスだった



で はしゃぐ 43歳



アフリカの夕陽を見るのも
あと1ヶ月となった



今回のチームも
ホントに良いチームだった

というか
無茶苦茶にオモロイ(笑)!
 この日は久しぶりに目覚ましナシの起床。それでも8時くらいに起きて活動開始。まずは、昨日残した飯を食べる(笑)。実は、昨日の夕食はイマイチのできだったのだ…。失敗、失敗…。その後、セットになっている宿の朝食を食べる(笑)。お菓子みたいな感じなのでデザートといった感じかな!!!
 さて、ここからが本格的な活動開始となった。今日中に、旅の日程とルートを固めるだけでなく、飛行機のチケットをブックしておきたい。それほどに、この宿のWiFiは調子がいいのだ。考えてみてほしい、ブック中にWiFiが切れたりしたら…ああ恐ろしい~。飛行機チケットは、安い買い物ではないのだ。いや、安い買い物でも嫌だけれど…。
 かなり検討を重ねた結果、アフリカをアウトするチケットと南米にインするチケットを決定。早速、ネット購入することに。アフリカをアウトするチケットは購入成功(まだ最終メールがきてないけど)。
 ところが、南米インのチケットが購入できない。宿のネット環境の問題ではなく、サイトの問題である。こちらは、次の機会にトライすることにする。ホントは、ここで購入したかったのに…(T_T)。

 予想外に時間がかかってしまった。そう、今日は移動日なのである。それにしても、テント泊とはいえ、しれっと16時過ぎまでスタッフに確認もせずに滞在している自分がいる…。なにか、日本人として大切なモノをどんどんなくしているようにも思う(笑)。
 でも、余計なことは言わずに、常識の範囲内で行動することが、宿のスタッフにとってもオリエント伯爵にとっても、ベストであることは間違いないのだ。ここは日本ではないということで、日本の皆様には許してもらうことにしよう…。旅を続けている人にとっては、日常のことだと思うので取り立てて…(笑)。実際、今日移動する人は、全員、同じような行動だしね!!!

 さて、現在滞在しているナミビアという国、今まで訪れてきた国とは異なる歩みをしている。なんたって、独立したのが1990年なのだ。オリエント伯爵より若い国なのね(笑)。
 しかし、当然に、独立までの歩みは笑い事では済まされない。ナミビアの植民地化は、1840年、今回訪れたウォルビス・ベイ一帯をイギリスが領有したことに始まる。1884年には、ウォルビス・ベイを除く地をドイツが保護国化。
 以前にも書いたとおり(→[2013.07.13])、1890年、イギリスとドイツは「ヘルゴランド=ザンジバル条約」を締結する。これによって、ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)のドイツ権益は確定することになる。その後、イギリスは、ウォルビスベイ一帯を、ドイツに奪われることを防ぐため、1910年に成立した「南アフリカ連邦」の一部とする。

 第一次世界大戦では、ドイツ領南西アフリカも戦場となった。1914年にはドイツ軍がウォルビスベイを占領するものの、1915年には英連邦王国であった南アフリカ連邦が全土を占領した。
 戦後、南西アフリカは南アフリカ連邦の委任統治領となる。第二次世界大戦が終了すると、南アフリカ連邦は、国際連盟が解散したのを理由に委任統治領が終了したと主張。国際連合の信託統治領とするという決議を拒否し、南西アフリカの併合を宣言した。
 この併合は、国際的には認められず、南アフリカ連邦の不法占領による実効支配が続くこととなる。1948年から南アフリカ連邦では、アパルトヘイト政策が本格的に推進されるようになる。こうして、ナミビアの地でも、アパルトヘイト政策が推進されることとなった。

 1958年には、ナミビアの地に「南西アフリカ人民機構(SWAPO)」がつくられ独立運動の歩みが始まる。南アフリカ連邦は、イギリスからアパルトヘイト政策を非難されたため、1961年、英連邦王国を脱退して「南アフリカ共和国」となる。1966年、SWAPOは武装蜂起をして、ナミビア独立戦争が始まる。
 このころ隣国のアンゴラでは、ポルトガルからの独立に向けた武力闘争が続いていた。アンゴラの独立運動組織は、ソビエトとキューバの支援を受けていた「アンゴラ解放人民運動(MPLA)」、ザイールの支援を受けていた「アンゴラ民族解放戦線(FNLA)」、FNLAから分離し南アフリカの支援を受けていた「アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)」であった。
 1975年、ポルトガルと3組織の間で休戦協定が結ばれ、最大勢力で首都ルアンダを掌握していたMPLAによって政権がつくられるとみられていた。しかし、これに反発したUSAがFNLAとUNITAを支援、ソビエトと敵対していた中国もUNITAを支援した。
 こうしてアンゴラ内戦は激化の一途をたどることとなる。このアンゴラ内戦において、ナミビアを拠点として南アフリカ軍は直接介入を行うようになる。しかし、1988年、クイト・クアナヴァレの戦いで南アフリカ軍の侵攻は止められる。同時に、アンゴラに駐留していたキューバ軍の疲弊も相当なものとなる。

 ここに、USA大統領ロナルド・レーガン大統領と南アフリカ政府が打ち出していた「リンケージ政策」が現実味を帯びる。具体的には、キューバ軍のアンゴラからの撤退とナミビアの独立を、交換条件とするものであった。
 1988年、リンケージ政策は各国に承認される。こうして、国連監視下で選挙が行われ、1990年に正式に独立したのである。なお、ウォルビスベイ一帯は、1977年に南アフリカが併合しており、引き続き南アフリカの領有地とされた。しかし、1994年には、ナミビアに返還されている。

 さてさて、旅日記。宿を出る前に食事。もちろん、キッチンを使わせてもらった(笑)。予定どおり、16時過ぎに宿を出る。今日のバスは、会社のオフィス前から出発である。徒歩にて移動。
 今回の移動は、南アフリカが誇る豪華バス会社「INTER CAPE」。実際にバスに乗ってみると…超立派だった!まあ、価格も高かったけどね(笑)!でも、サービスはイマイチかな~。

 この移動で、信じられないことが1つ…。なんと、悪夢を見てうなされて、大声を上げて飛び起きるという事態が…。いや~、無茶苦茶に怖かった…。おそらく、周りの乗客も怖かったと思うけど(笑)。なんか、映画のシーンみたいだった。
 この移動は、Tenさん、Kekeさん、Hiishiiさんと一緒。そうそう、目的地が違うけれどYoroさんも一緒。つまり、ナミブ砂漠チームでの移動となったのだ。まあ、Yoroさんだけは席が離れていたけどね!ナミビアでは、ホント、チームに恵まれた。素晴らしいチームと、素晴らしいレンタカーでのナミブ砂漠観光に「サンキュー」!

 バスは深夜に国境に到着。何事もなく手続きは終了。カスタムはなし。

 無事、ナミビア共和国を出国。

 再びバスに乗り込み、南アフリカ側のイミグレへ。こちらも、何事もなく手続きは終了。スタンプを指定したページに押してくれるサービスまで付いてきた(^o^)!カスタムは、チームの荷物が入っていない荷物室を入念にチェック。どうやら、抜き打ちでチェックするシステムらしい。チームの荷物は触されることすらなかった。

 無事、南アフリカ共和国に入国。

 さあ、この移動の目的地であるスプリングボックに到着するまで、もう少しである。
 

 
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