世界旅HOME   南ヨーロッパ   イタリア   2013年10月  
 
ヨハネスブルグ→ドーハ
→[空港泊]…ローマ
ドーハ…[空港泊]→ローマ ローマ→バチカン→ローマ
 

 

ドーハの空港は
ホントに立派だ



ここが仮眠室みたなところ
でも
寒すぎて撤退した(笑)



カタールの夜明け



きちんと機内食



イタリアから見えてきた



もちろん
ウェルカム・ビールと
ウェルカム・ワイン



キッチンが付いていないので
夕食はピザにした
 ドーハを8時45分に離陸する飛行機で出発。それまでは、まあ、時間潰しということになる(笑)。暇といえば暇である…でも、WiFiが飛んでいて電源も確保できたので、思った以上に充実の時間でもある(笑)。
 飛行機に乗り込み離陸準備完了。隣りに座ったのには、ベトナム人のオネエちゃん。両親がローマの大使館に勤務しているので、ベトナムから遊びに来たらしい。お嬢様ですね!!!
 カタール航空は、“ドーハ→ローマ間”も快適な移動を提供してくれた。実際に乗ってみて、カタール航空が人気なのが分かる気がする(^o^)。また乗りたくなるほどのクオリティだった。こんな感じならば、飛行機移動も悪くないね(笑)。

 定刻よりも早くローマの空港に到着。空港の名前はフィウミチーノって言うらしい。言いづらい…(笑)。ホントは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ空港」っていう名前らしいのに、誰もその名前を呼ばない。なぜ?
 入国手続は、まったくもって問題なく終了。問題なさすぎて、係官が入国スタンプを押すのを忘れたくらい…。間違いなく、どこからやって来たかを見ていなかったため。シェンゲン圏内の移動やと思ったんだろう。
 でもね、オッちゃんよ、オリエント伯爵の場合、ここでスタンプを押されないと非常に困ることになるんだよ…。以前にシェンゲン圏に入国しているので、出国するときに“超オーバーステイ”になっちゃう。というわけで、スタンプ押してよと一言。係官は「なんだ、スタンプほしいのか」ってな感じて押してくれた。ほしいんじゃなくて、必要なんだけどね(笑)。ちなみに、カスタムは素通り。

 空港からはバスで市内まで移動。現在のところ、公共交通機関ではバスが最安と思われる。無事に、中心のテルミニ駅まで来ることができた。なんとかなるもんだねぇ~。やっぱ、ヨーロッパだ!
 で、宿探しを開始。ガイドブックで見つけておいた宿に向かう。無事に見つけることができたけれど高い…。やっぱ、ヨーロッパだ!違う宿を探すことにした。でも、情報不足のために見つけられず…。やっぱ、オリエント伯爵はアホだ…(笑)!
 適当に入ってみた宿、最初の宿よりは安かった。なので、ここに決めちゃった。それでも高いよ~!!!でも、クオリティはなかなかのもの。というか、アフリカ生活が長くて、なんとなくバランスが壊れていると思われる。だって、部屋に電源があるだけで、「ここはいい宿だ」と思っているオリエント伯爵だったりする…(笑)。

 では、ローマの歴史を超簡単に…。最初にローマの地に国家を築いたのはロームルスとされている。ただし、このあたりの話は伝説によるものである。BC509年、7台目の国王だったタルクィニウス・スペルブスの追放によって、王政ローマは終焉を迎える。
 ここからは、「共和制ローマ」と呼ばれる時代となる。実質的な統治機関として「元老院」が置かれた。内政の最高責任者および軍事の最高指揮官は「執政官」と呼ばれ、元老院が候補者を選び、市民選挙によって選出されていた。
 BC272年、共和制ローマはイタリア半島を統一する。BC264年、シチリア島の支配権を巡って、カルタゴ(現チュニジアに位置した)と戦争が勃発する。第1次ポエニ戦争である。BC219年には、イベリア半島を勢力下に置いたハンニバルが、共和制ローマに侵攻し第2次ポエニ戦争が勃発する。BC149年には、カルタゴの完全なる滅亡を狙って、第3次ポエニ戦争が起こった。
 結果的には、3回のポエニ戦争は、すべて共和制ローマが勝利した。この戦争により、シチリア、コルシカ、サルディーニャ、ヒスパニア(現イベリア半島)、アフリカ(現チュニジア周辺)を獲得し、属州として支配した。また、西地中海は完全に共和制ローマの支配下に置かれることになった。

 広大な土地を支配することになった共和制ローマ。しかし、都市国家を前提として構築された、元老院による統治システムは機能しなくなりつつあった。また、属州からの農産物の流入によって、農民が没落することになり、土地所有農民が中心となっていたローマ軍もまた危機に陥ることとなった。
 こうした中、グラックス兄弟による改革が行われるものの、元老院と激しく対立。BC133年、兄のティベリウス・グラックスが殺害される。BC121年には、弟のガイウス・グラックスも殺害された。「内乱の1世紀」と呼ばれる時代の始まりである。
 BC107年、執政官となったガイウス・マリウスは軍制改革を実施。共和制ローマの軍隊は蘇った。その後、マリウスは、ルキウス・コルネリウス・スッラと対立。BC88年、ポントス王国(現トルコ北東部に存在)との間で第1次ミトリダテス戦争が始まると、執政官であったスッラは出征する。この隙を突いて、マリウス勢力がクーデターを決行。スッラの指揮権は剥奪される。
 スッラは、ローマに軍を向けるという、当時では前代未聞の暴挙に出る決断をする。結果、スッラはローマの占領に成功する。スッラは再び戦地へと向かう。そして、ローマでは、再びクーデターが勃発した。このクーデターは失敗したものの、マリウスがローマの占領に成功。
 しかし、マリウスは病没する。この報を受けたスッラは、再びローマに向かい、占領に成功。BC82年のことである。同年、長年使用されることのなかったポストである独裁官への就任を宣言した。なお、スッラとマリウスによるローマ占領の度に、大規模な粛清が行われ、多くの人材が失われることとなった。

 BC80年にスッラは独裁官を辞任。BC78年には死去する。スッラの亡き後、力をつけてきた3人の男がいた。大富豪のマルクス・リキニウス・クラッスス、軍人のグナエウス・ポンペイウス、マリウスの義理の甥で民衆派のリーダーとなったガイウス・ユリウス・カエサルである。
 元老院は3人の活動を抑えこもうとする。それに対して、3人は「第1回三頭政治」という体制を確立。BC60年にはクラッススとポンペイウスが執政官となり、翌年にはカエサルが執政官となった。また、クラッススはシリアを、ポンペイウスはヒスパニアを、カエサルはガリア(現フランスに位置する)を勢力圏とした。
 しかし、BC53年、クラッススが戦死する。また、ガリア戦争の勝利によってカエサルの名声は高まることとなった。こうした状況の中、ポンペイウスは元老院と結びつく選択をする。こうして、カエサルとポンペイウスの間で「ローマ内戦」が勃発した。BC49年のことである。
 この内戦の中で、「ルビコンの決断」、「賽は投げられた」、「来た、見た、勝った」といった言葉が生まれている。BC48年、ポンペイウスは逃亡先のエジプトで暗殺される。BC45年、内戦はカエサルの勝利で終結した。

 BC44年、カエサルは元老院勢力によって暗殺される。この暗殺を受けて、カエサルの後継者だったガイウス・オクタウィウス・ドゥリヌス(アウグストゥス)、カエサルの腹心だったマルクス・アントニウス、カエサルの副官だったマルクス・アエミリウス・レピドゥスが手を組む。「第2回三頭政治」の始まりである。
 しかし、反カエサル勢力の一掃に成功すると、3者の間で軋みが生じるようになる。BC40年には、勢力範囲の三分が決められ、アウグストゥスは西方を、アントニウスは東方を、レピドゥスはアフリカを統治することとなった。
 その後も、三者の反目は収まることはなく、BC36年、レピドゥスが失脚。残るは、アウグストゥスとアントニウスの2人である。当時、アントニウスは、プトレマイオス朝(現エジプト)のクレオパトラ女王にゾッコンだった。これがローマ人の不評を買うことになる。
 時期が来たことを悟ったアウグストゥスは、プトレマイオス朝に宣戦布告。BC31年、「アクティウムの海戦」で共和制ローマが勝利し、プトレマイオス朝は滅亡することになった。アントニウスは自害し、クレオパトラもまた自害した。

 こうして、アウグストゥスは勝ち残る。BC27年、アウグストゥスは元老院で全特権の返上を伝える。元老院は狂喜したものの、返上した特権は内戦時に必要だったもので、このときには有名無実となっているものばかりであった。
 更に、アウグストゥスは、属州を2つに分け、比較的安全な地域を元老院属州とし属州総督は元老院から選出し、軍隊の駐屯が必要な地域を皇帝属州としアウグストゥスが総督兼軍団司令官の任命権をもつようにすることを提案した。厄介な地域をアウグストゥスが見てくれるということで、またまた元老院は狂喜した。
 更に更に、アウグストゥスは、厄介な属州統治と軍団の指揮を円滑に行うために、プロコンスル命令権を元老院から取り付ける。この結果、ローマ軍はアウグストゥスに一元管理されることになる。
 更に更に更に、元老院は、満場一致でアウグストゥスに国の全権を掌握するように要請。慎重なアウグストゥスは、辞退を繰り返した後、これを承諾した。ここに、皇帝が誕生し、ローマ帝国としての歴史が始まることとなる。BC27年のこと。

 長かった…。でもまだ紀元前(笑)…。
 

 
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