世界旅HOME   南アフリカ   南アフリカ   2013年9月  
 
ケープ・タウン ケープ・タウン ケープ・タウン→喜望峰
→ケープ・タウン
 

 

Hiishiiさん

オリエント伯爵と同じく
北海道の人

オリエント伯爵と同じく
学校の先生

いつか北海道で
一緒に働いてみたいなあ



Kekeさん

エジプトのダハブで会って
アフリカ南下を約束

カイロで計画的に再会
その後
エチオピアの
アディス・アベバまで
一緒に旅をした

ケニアのナイロビで再会

ナミビアの
ウィントフックで再会

驚くことに
今までツーショットを
撮っていなかった

それくらい
一緒にいることが
当たり前になっていた



ジャケ買いならぬ
ピクチャー買いをしたワイン

味の方は…
イマイチだったかな~(笑)



久しぶりにパスタをつくった

野菜をたくさん入れて
入れ過ぎた…(笑)

満腹感120%
 南アフリカの歩み、第2弾。昨日は、南アフリカの地に、イギリス系の「ケープ植民地」と、アフリカーナ系の「オレンジ自由国」と「トランスヴァール共和国」が存在していたというところまで。ちなみに、トランスヴァール共和国が建国されたのは、1852年。オレンジ自由国が建国されたのは、1854年である。
 1860年代、オレンジ自由国のキンバリーでダイヤモンド鉱山が発見されると、白人の鉱山技師が大量に流入するようになる。イギリスは、技師たちの保護を大義名分としてオレンジ自由国を領有化する。
 一方、内陸国だったトランスヴァール共和国は、海を求めてズールー王国への侵攻を試みる。この動きを受けて、イギリスはトランスヴァール共和国の併合を宣言した。
 1880年、これに反発したトランスヴァール共和国は、イギリスに対して宣戦布告。第1次ボーア戦争が勃発した。翌年の、マジュバ・ヒルの戦いでイギリスは惨敗。「プレトリア協定」が結ばれ、イギリスはトランスヴァール共和国の独立を認めざるを得なかった。

 1886年、トランスヴァール共和国のヨハネスブルグ近郊で大規模な金の鉱脈が発見される。こうして、トランスヴァール共和国にも、大量の鉱山技師が流入することとなった。
 オレンジ自由国でも、トランスヴァール共和国でも、アフリカーナに比べると、白人の待遇は低く抑えられた。まあ、ケープ植民地では反対のことが起こったのだから当然といえば当然…。しかし、そう考えないところが、帝国主義時代のイギリスであった。
 1899年、同時期に、イギリスとトランスヴァール共和国は最後通牒を出す。同年、宣戦が布告され、第2次ボーア戦争が勃発した。オレンジ自由国は、もちろんトランスヴァール共和国に同調した。

 開戦前、イギリス側は、アフリカーナの両国を占領することなど簡単だと考えていた。しかし、1899年12月10日のストームベルグの戦い、同年12月11日のマゲルスフォンテーンの戦い、同年12月15日のコレンゾーの戦いのすべてにおいて、イギリス側は壊滅的な打撃を被る。
 翌年の2月になると、増援されたイギリス軍は攻勢に出る。3月13日にはオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンが陥落、6月5日にはトランスヴァール共和国の首都プレトリアが陥落した。
 しかし、首都が陥落しても、アフリカーナの人たちは戦いを止めることはなかった。ここから、アフリカーナの人たちはゲリラ戦を展開することとなる。1902年、アフリカーナ勢力は降伏し、両勢力間で「フェリーニヒング条約」が結ばれ、すべての戦闘行為が終了することとなった。

 こうして、アフリカーナ国家は消滅した。しかし、アフリカーナによる自治、黒人解放問題の棚上げ、アフリカーナ地域再建の費用負担、ケープ植民地以外でのアフリカーナ指導者の拘束禁止、オランダ語の使用許可といった条件をイギリスは飲むこととなった。
 それだけではなく、軍隊の疲弊、非人道的な強制収容所戦略と焦土作戦に対する対外的批判といった犠牲を払うこととなった。また、この第2次ボーア戦争によるダメージのために、東アジアにおいて、満州でのロシア勢力に単独で対向することが難しくなり、「栄光ある孤立」を捨て、1902年に日英同盟を締結したとされている。

 その後、1910年、南アフリカ連邦が成立。イギリスの自治領となる。1931年には実質的に主権国家となり、1934年には正式に主権国家として規定された。
 1961年には、イギリスがアパルトヘイト政策を批判したことでイギリス連邦から脱退。同年、南アフリカ共和国となる。1976年、ヨハネスブルグで「ソウェト蜂起」。1990年、ネルソン・マンデラが釈放。翌年、アパルトヘイト関連法が廃止。1994年、全人種を対象とした総選挙が実施され、マンデラが大統領に就任した。

 まあ、こんな感じかな。そうとうに複雑な歩みをしてきた国である。さてさて、旅日記…。今日は、HiishiiさんとKekeさんとMIさんが宿を去る日。Hiishiiさんはトルコに、Kekeさんはマダガスカルに、MIさんはギリシャへと向かうそうだ。
 3人とも、とても思い出深い人たち。これからの旅でも、楽しい時間を過ごせることを心から祈っている。ホント、出会えてよかった!アフリカの地は、なかなかに馴染めないことがたくさんだけど、ここで旅をともにした日本人は、魅力的な人たちがたくさんだった!!!そう考えると、アフリカに来て良かったなあって、心から思うことができる。

 この日もノンビリとした1日。天気は良いし、膝の調子も上向きだし、街歩きをしてもいいのだけれど、なんとなくそんな気分にはなれない。ただの面倒くさがり屋だね~(笑)。
 ただ、旅の各種作業はコツコツと継続してしている。飛行機チケットのブックだけじゃなく、久しぶりにカウチサーフィンを利用することにしたし、アフリカ・ラウンド終盤はもちろん、南米の旅の日程とルートも検討した。
 ケープ・タウンから次の目的地までのバスチケットもブックした。というわけで、快適なケープ・タウン生活も終りが見えたことになる。またまた移動が待っている。でも、ここは南アフリカ、今までのアフリカの地での移動と比べたら天国だろうと期待している…(笑)。まあ、ブックの最後で画面がフリーズして、E-Ticketが印刷できないなんていうトラブルがすでに発生しているけどね…(笑)。
 

 
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