世界旅HOME   東アフリカ   ルワンダ   2013年8月  
 
カバレ→キガリ キガリ キガリ
 

 
   ルワンダといえば、「ルワンダ虐殺」が行われた地として有名である。この虐殺は、『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』といった映画作品にもなっている。

 第一次世界大戦のドイツ敗戦を受けて、ルワンダの地は、「ルアンダ=ウルンディ」としてベルギー領となった。ベルギー統治では、少数派のツチ族が中間支配層とされ、多数派のフツ族は抑圧された。
 第二次世界大戦が終結すると、1962年、ルワンダは独立。ツチ族の王族は廃され、ルワンダの大統領にはフツ族のグレゴワール・カイバンダが就任。しかし、1973年にはクーデターによって、同じフツ族のジュベナール・ハビャリマナが大統領となる。ハビャリマナは、カイバンダの勢力基盤だったパルメフツ(フツ解放運動党)を抑圧し、自らが所属する政党である開発国民革命運動(MRND)による独裁を始める。

 こうして権力を握ったフツ族から逃れるために、隣国のウガンダにはツチ族の難民が大量に流れ込んでいた。1987年、ウガンダのツチ族難民がルワンダ愛国戦線(RPF)を結成。1990年10月、RPFはルワンダ北部に侵攻して「ルワンダ内戦」が勃発した。
 1993年8月、RPFの猛攻と国際世論の高まりから、アルーシャ協定が結ばれ、両者は和平合意に至る。アルーシャ協定に基づいて、国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)が展開し、停戦監視や和平構築支援を行うこととなった。

 こうした中、1994年4月6日、ルワンダ大統領ハビャリマナとブルンジ大統領シプリアン・ンタリャミラ(フツ族)を乗せた飛行機が何者かにミサイルで撃墜される。
 このハビャリマナ暗殺が、「ルワンダ虐殺」の直接の引き金となった。暗殺時、ウガンダ首相は、アガート・ウィリンジイマナが務めていた。彼女は穏健派フツ族のリーダーの1人として知られていた。しかし、暗殺の翌日には、大統領警護隊によって、彼女の警護にあたっていたUNAMIR所属のベルギー兵士10名とともに殺害される。
 大統領と首相がともに暗殺されたため、ルワンダでは、トオドール・シンディブワボが暫定大統領に、ジャン・カンバンダが首相となった。この政府が、ルワンダ虐殺を組織的に行った政府である。

 ルワンダ虐殺の標的となったのは、ツチ族に限ったことではなく、穏健派フツ族、UNAMIR(特にベルギー人兵士)にまで広がっていた。実際、初期の段階で、穏健派フツ族の政治家たちは、次々と暗殺されていった。
 ルワンダ虐殺は、大統領警護隊を含むルワンダ軍と、インテラハムウェやインプザムガンビといったフツ族民兵が主体となった。しかし、虐殺に参加しなければ裏切り者として虐殺された事実から、多くのフツ族が実際の虐殺に関与したとされている。
 ルワンダ虐殺での死者数は、はっきりとしていない。少なくても50万人以上が虐殺されたことは明らかであり、100万人を越えるという説もある。いずれにしろ、とんでもない数の人々が殺害されたことは間違いないのだ。

 ルワンダ国内でジェノサイドの荒らしが吹き荒れる中、RPFとの内戦も再発していた。RPFは猛攻を続け、1994年7月4日には、首都キガリとブタレを制圧した。同16日には、政府軍の最終拠点だったルヘンゲリを制圧。同18日には、RPFのポール・カガメ司令官が、戦争終結宣言を発表した。
 ハビャリマナ暗殺から戦争終結宣言まで、わずか約100日間…。その間に、ルワンダ全土で虐殺は繰り広げられたのである。なお、ツチ族とフツ族であるけれど、民族的な違いはほとんどなく、文化的には同一民族とみることができる。両者の違いは、歴史的に、ツチ族が牧畜で生計を立て、フツ族が農耕で生計を立てていた程度である。
 その民族が、ここまで対立することになったのは、ベルギーによる植民地政策のためである。アフリカの諸問題の根底にあるのは、いつもヨーロッパ列強の歴史的エゴである。ヨーロッパ各国および各国民は、そうした事実を真摯に受け止めるべきだと思う。もちろん、日本人が受け止めなければならない問題があることも承知のうえである。

 で、旅日記。Taiさんは、観光へと出かけて行った。ルワンダ虐殺の記念館や、虐殺の舞台となった地へと。これが、正しい、ルワンダでの旅人の過ごし方。オリエント伯爵は、ネットカフェへと向かった…。これは、正しくない、ルワンダでの旅人の過ごし方(笑)。
 サイトをアップ・ロードして、フェイスブックを更新する。メッセによると、Tenさんは、隣の宿に泊まっているようだ。ネットカフェを後にして、隣の宿に行くと、「いないよ」って言われた…。
 Tenさん、宿を移動したのかもしれない。しかし、ここはアフリカ。もしかすると、宿のスタッフの対応がいい加減ということも考えられる。アフリカって、ホント、邪魔くさい場所である…。もう、アフリカ、お腹いっぱいだ~。早く、脱出したい!!!

 で、夕方になって、体がだるくなったような気がしたので、熱を計ってみた。なんと、37度7分…。発熱が再発したようだ…。今回は、なんとなく心あたりがある。ブニョニ湖でのテント生活が、思った以上に寒かったのだ。
 思い返してみると、昨日もだるかった…。移動してきたからかと思っていたけど、すでに熱があったのかもしれない。今日も、昼過ぎから、筋肉がだるかった。間違いなく、昼過ぎには熱があったのだろう…。何にもなくても、面倒くさいアフリカの旅…。体調不良とは、面倒くささに拍車がかかるというものだ。

 ちなみに、本日は、旅に出て600日目の記念日。更に、Taiさんの誕生日でもある。そんなこともあって、Tenさんとも一緒に宴を催したかったんだけどなあ~。
 なんて思っていたら、Tenさん登場!19時少し前には、観光に行っていたTaiさんも戻ってきた。昨日の食堂まで、3人で夕食を食べに行く。昨日よりも、飯の盛が良くなったぞ(笑)!!!1本ずつビールも飲んで、これで宴のウォーム・アップは終了。
 宿に戻る途中で、1本洋酒を購入。まあ、3人で1本なので、ほろ酔いって感じかな~。この日はブランデーをセレクトしてみたのだけれど、少しばかり薄味だった。でも、飲めないほど不味いってことはなかったので一安心!!!
 もちろん、宴は、楽しく、楽しく、続いたのだった!!!!!
 

 
カバレ→キガリ キガリ キガリ
 

Produce by "Piccolo Posto a KAZUNO"
~ 鹿角の小さな場所 ~

Contact Information : "piccolo.posto.a.kazuno@gmail.com"
Since : Aug/2024