
オリベスクの墓

シーク

エル・ハズネ

ファサード通り

ローマ円形劇場

王家の墓

住居跡

柱廊通り

カスール・アル・ビント

エド・ディル |
さっさと、この地を去りたいオリエント伯爵。しかし、この日はペトラ遺跡に行く予定である。ワディ・ムーサまで来て、ペトラを訪れないことなど考えられない。むか〜し、むか〜し、「クリープを入れないコーヒーなんて」というコピーが流行ったことがあったけれど、「クリープしか入れないコーヒーなんて」てなくらいに信じられないことなのである。
宿を7時半くらいに出発。送迎バスもあるのだけれど、歩いても30分もからない。テクテクと入場ゲートへ。この日は、なんの揉めごともなく(←あたりまえ:笑)チケットを購入。ペトラへと足を踏み入れる。
ゲートを通り抜けると、まずは面倒くさい地元民に遭遇…。「馬に乗らないか」、「ロバに乗らないか」と、うるさい…。なかには、「この乗馬はチケット代に含まれている」という不思議な勧誘も…もちろん、100%ウソと思われる。
「オリベスクの墓」を左手に見ながら、テクテクと歩いて行く。第2ゲートを通過すると、「シーク」と呼ばれる狭い岩の割れ目のような小道を歩くこととなる。途中には、水を通したと思われる場所もあった。
シークを通り抜けると、広場のような場所に出る。ここにあるのが、有名な「エル・ハズネ」である。『インディー・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台にもなった。
おそらく、エル・ハズネは、ペトラで最もメジャーなスポットであると思われる。しかし、想像していたよりもデカくない…。彫刻等の装飾もとりたてて…。一言でいえば、そんなに感動しなかった。
エル・ハズネを後にすると、道は左に曲がり、「ファサード通り」と呼ばれる場所を通る。この通りの両側には、上部が階段状になった建物が残っている。
道なりに右に曲がると、ほどなく、「ローマ円形劇場」に到着。この旅で何度も見ているローマ劇場。特別に、ここのローマ劇場に感動をおぼえることはなかった。この辺りから、視界が開けるようになってくる。右手には「王家の墓」と呼ばれる岩窟墓群が並んでいる。また、岩をくりぬいた住居跡も多数存在する。
道なりに左に曲がると、「柱廊通り」となる。かつては、この通りを囲むように建物が建てられていたらしい。しかし、551年の地震で、数多くの建物が崩壊したようである。
それら崩壊した建物の中でも、もっとも興味深かったのが「大寺院」である。というか、ペトラ遺跡全体の中で、もっともイイ感じだった。ちなみに、下の写真群が「大寺院」。



オリエント伯爵の感覚が、他の人と違いすぎるのか〜な???巨大な石柱が倒れたままになっているところなんか、なかなか素敵じゃありませんか?賛同者ナシか???
大寺院を後にして、「凱旋門」を通り、「カスール・アル・ビント」へ。この辺り、ペトラ遺跡で最も面倒くさい場所。ロバ、ロバ、ロバとうるさいこと限りなし。まあ、強引ではないので、実害はないんだけどね。
ロバ屋によると、この先の見どころまで歩くと1時間かかるとのこと。そのおかげで、1時間もかからずに到着することが分かる。「○○とハサミは使いよう」ってやつである。
実際、1時間はかからずに、最終目的地の「エド・ディル」に到着。ここも、とりたてて感動する場所ではなかった。すごい建物なのは分かるのだけれど…。
こんな感じでペトラ観光は幕を閉じたのである。観光地としての「ペトラ」の評価は、「★★☆☆☆」である。ペトラ自体を考えれば、もっと高評価でもいいのだけれど、コスト・パフォーマンスが引っかかりすぎる。なんせ、この遺跡に入場するのには、約7000円という出費が必要なのだ。
更に、ゲート・ウェイとなるワディ・ムーサに住む人たちが酷い。もちろん、イイ人のいたのだけれど、この街には小悪人が多すぎる。二度と訪れることはない地である。
宿に戻ると、1人の日本人と出会う。名前はDagoさん。イスラエルから陸路でやって来たらしい。この後は、陸路でイスラエルに戻って、陸路でカイロをめざすとのこと。
で、口説いてみました〜!海を渡って、ダハブに行きませんか!って。Dagoさん、乗ってくれました!!!やったぁ〜。これで、ダハブまでの同行者が!!!!!淋しがり屋のウサギは、無事に仲間を見つけることができたとさ(笑)。
もう1人、日本人のMippoさんと出会う。ヨルダンで恐ろしい目にあったそうだ。個人的には、日本人女性に対する、このあたりの男性の行動は常軌を逸しているように思う。まあ、人それぞれなので、それでイイのならばオリエント伯爵が口を挟むことではない。あくまでも、価値観は人それぞれなので…。 |