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パレスチナ
 
イスラエル
  2013年5月  
 
アンマン→エルサレム エルサレム→ヘブロン
→ベツレヘム→エルサレム
エルサレム
 

 

ヘブロンの買い物通り

上に張ってある金網は
ユダヤ系住民が放り投げる
ゴミや危険物から
身を守るためだったとのこと



買い物通りから1本脇の道

ユダヤ系住民の
ゴミの投棄によって
パレスチナ系住民は
住めなくなったとのこと



扉が固く閉ざされた商店

イスラエル兵によって
閉鎖させられたという



旧市街の
メインストリートの上にも
金網が張ってあった



旧市街の端にあるゲート
この先は
ユダヤ系住民の入植地



マクベラの洞穴の外観





アラブ側の内部



パレスチナの女性

彼女たちに
真の平和が訪れる可能性は
限りなくゼロに近い



ユダヤ側の内部



ヘブロンのアラブ側住民



空高くそびえる
ベツレヘムの分離壁




分離壁の落書き


有名な落書き(たぶん…)
分離壁には書かれていない



聖誕教会の内部


地下の様子


モザイク画が残る



中東のビールらしい…
 今日から本格的なイスラエル滞在が始まる。その第1日目に、いきなりパレスチナ国へと向かうことにした。これには理由がある。イスラエルでは「安息日」がしっかりと設定されているらしい。その結果、金曜日の夕方から土曜日にかけて、パブリックな交通機関も含めて、経済活動が停止するようなのである。なので、バスでの移動が必要なパレスチナ国への訪問を木曜日である今日にしたのである。
 宿から街までは、途中まで歩いて、途中からバスに乗り込む。エルサレムのバスTは、ユダヤ系地域行きとアラブ系地域行きに分かれている。オリエント伯爵は、アラブ系地域に行きたいので、そちらのバスTへと向かう。パレスチナ国に行くからといって、アラブ系地域に行くとは限らないのが複雑なところ。そう、ユダヤ系住民による「入植地」が数多く存在するからである。

 パレスチナ地域の複雑な現状を紐解くのは、予想以上に困難な作業である。今回は、現在のパレスチナ国に存在するパレスチナ自治政府の母体となったパレスチナ解放機構(PLO)に焦点を当ててみる。
 1964年5月に開催された、第1回アラブ首脳会議でPLOは成立。本部はヨルダンのアンマンに置かれた。初代の執行委員会議長はアフマド・シュケイリーという人物であった。設立の背景には、「イスラエル建国」という出来事が関係している。

 第一次世界大戦の後、パレスチナの地には多くのユダヤ人移民がやってきた(詳細については後日)。第二次世界大戦が終了すると、イギリス政府はパレスチナの地を統治することを断念。国際連合にパレスチナ問題の解決を委ねる。
 1947年11月29日、国際連合は「パレスチナ分割決議」を採択する。この決議にアラブ側は一斉に反発(理由については後日)。翌日からパレスチナの地は内戦状態となった。これが「パレスチナ内戦」である(詳細については後日)。
 1948年5月14日、イギリスのパレスチナ委任統治が終了する。この終了は、“放り投げる”といった表現がふさわしい。なんせ、パレスチナ内戦は、まったく出口が見つからない状況だったのだから…。同日、ダヴィド・ベン=グリオンは、イスラエル独立宣言を発表。
 独立宣言の発表によって、イスラエル建国を認めないアラブ側との戦争に突入。第1次中東戦争が勃発した(詳細については後日)。この戦争でイスラエルは勝利を収め、名実ともに「イスラエル」という国が建国された。また、パレスチナの地の中で、ガザ地区はエジプト領に、エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区はヨルダン領となった。なお、戦争が終結したのは、1949年の2月〜7月(各国と停戦協定を結んだために同日ではない)にかけてである。

 こうしてイスラエルは、“実力”で建国されたわけである。1949年5月11日には国連にも加盟。1967年6月5日、第3次中東戦争が勃発。イスラエルが圧勝を収め、ガザ地区、エルサレム旧市街、ヨルダン川西岸地区に加え、ゴラン高原、シナイ半島まで占領する。
 この戦争の後、PLOにファタハが参加。ファタハは1957年にヤーセル・アラファートにより設立されていた。1969年2月にはアラファートが2代目の執行委員会議長に選出され、PLOはファタハを中心に機構を再整備していきパレスチナ人を代表する勢力となっていく。

 しかし、イスラエルとの戦闘で度重なる敗北を重ねていたヨルダンは、現実路線を選択するようになっていく。当然に、この姿勢はPLOにとっては裏切りと映るようになる。両者の関係が決定的な破局を迎えたのは、1970年9月6日に発生した「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」である。
 このハイジャック事件で人質となったのは、ハイジャックが成功した3機を合わせて、乗客394人、乗務員27人にのぼった(他にも、ハイジャックに失敗した飛行機が2機)。ハイジャック機が着陸させられたヨルダンの「革命空港(実質上はヨルダン政府ではなくPFLPの支配下)」周辺には、世界中のメディアが集結した。PFLPの活動家の釈放と人質の開放が交換条件として行われた後、メディアの目前で3機の航空機は爆破された。
 世界を震撼させたハイジャック事件に対して、ヨルダン国王のフセイン一世は大激怒。PLO勢力の追放を決定し、1970年9月14日、ヨルダン内戦が勃発した。圧倒的な軍事力をもつヨルダン政府軍が優位に戦闘を進める。しかし、PLO勢力にシリア軍が加勢しヨルダンに侵攻する。
 シリアとヨルダンの全面戦争が避けられない情勢の中、アメリカとイスラエルがシリアに軍事的圧力をかけ、エジプトのガマール・アブドゥル=ナーセル大統領の仲介で停戦。PLO勢力はレバノンのベイルートへと拠点を移すことになる。

 “中東の厄介者”となりつつあったPLOであるけれど、1974年には国連総会のオブザーバー資格を手に入れる。しかし、厄介者ぶりは健在で、1982年にはレバノンから追放されチュニジアへと落ちていく。
 個人的には、このPLOの体質を劇的に変化させたのは、1987年から始まった「第1次インティファーダ」ではなかったかと思う。当初は、PLOとは関係なく自然発生的に起ったイスラエルに対する攻撃的民衆運動だったようだ。
 このインティファーダの様子が全世界に公開されると、イスラエルに対する国際的非難が殺到する。PLOもこの運動を支援する。1988年11月には、「シオニスト国家打倒によるパレスチナ解放」から「イスラエルと共存する、ヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのパレスチナ国家建設」へとPLOの方針をシフトチェンジする。
 1993年8月23日、イスラエルとパレスチナの国家を相互に承認するという「オスロ合意」が調印される。また、イスラエルの入植地からの撤退と5年間はパレスチナ自治政府が自治を行うことも明記された。

 しかし、1995年11月4日、オスロ合意を成立させたイツハク・ラビン首相が暗殺される。PLO側もパレスチナ民衆からの支持を広げられない中、イスラム原理主義を掲げるムスリム同胞団のパレスチナ支部を母体として設立された「ハマース」が支持を広げていく。
 結局、オスロ合意は有名無実化していき、イスラエルは入植地からの撤退をすることはなく、パレスチナ側もイスラエルへのテロが続いている。ただし、ファタハ派はテロ活動を停止している。
 現在、パレスチナ国は、ヨルダン川西岸地区をファタハ派が支配し、ガザ地区をハマース派が支配している。イスラエルは、ヨルダン川西岸地区では入植地を維持し続け、ガザ地区では戦闘行為を繰り返している。
 パレスチナ地区が将来、どのように変遷していくのか、今の段階ではまったく分からない。もしかすると、その答えは、パレスチナ国を訪問してみることで個人的には見つかるのかもしれないけれど…。

 長っ…。バスは、ベツレヘムのパレスチナ自治政府が統治する地区へと向かう。途中で降ろされそうになるものの、バスでヘブロンへと向かいたいことを力説してベツレヘムの街へと到着。途中で降ろされたら、セルビスに乗らなければいけない。そうなると高くつくのだ。
 ベツレヘムでバスを乗り換えて、ヘブロンへと向かう。隣りに座ったパレスチナ人は、USAのことをポロ糞に言っていた。まあ、USAのパレスチナ政策を考えれば、気持ちは分からないわけではない。ヘブロンに到着する。
 予想以上に大きな街である。旧市街へと向かう。途中の“買い物通り”では、早くも衝撃の光景を目にする。通りに上に金網が張ってあるのだ。その上には、ゴミや危険物が…。当時は、2階以上にユダヤ系住民が居住しており、嫌がらせのために投棄したらしい。近くには、イスラエル兵によって閉鎖された店舗、ゴミが山積して住めなくなった住居跡もある。
 現地の人の話によると、ヘブロンの街に住む400人のユダヤ系住民を守るために、2000人のイスラエル兵が駐屯しているとのこと。また、イスラエル兵によって閉鎖された店舗は2000軒にのぼるらしい。この数字が正しいかどうかは分からない。ただし、尋常ではない状況に陥っているのは分かった。
 唐突に強烈な現実を突きつけられて、そうとうにダメージを受けた。旧市街へと入っていく。道は細くなり、ズルガシコイ輩も増えてきた。パレスチナ人から受けた印象は、イイ感じとワルイ感じが半々。その差は極端なものがあった。完全に二極化している。

 旧市街の突き当りにゲートがある。厳重に警備されている。金属探知機が鳴らなくなるまで、何度でも出たり入ったりを繰り返させる。一連の行動の間、イスラエル兵は小屋から出ることはない。ただ、命令を繰り返すだけである。ただし、パスポートを見せながら入っていく日本人のオリエント伯爵に対してはノーチェック。金属探知機が鳴ったって問題なし。正直いって、ありがたいけれど、ここまで露骨だと…。
 このゲートを通過してすぐにマクベラの洞穴がある。ここはアブラハムという聖人の埋葬された場所とされている。他にも、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、レカという人々が埋葬されているとされている。アブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じる人々の共通の祖先とされる。ノアの洪水の後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者なんだそうだ。「信仰の父」とも呼ばれるそうである。というわけで、「聖地」なんだそうだ。

 ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も信じないオリエント伯爵としては、まったくもって重要な場所ではない。しかし、信条が違えば重要度も違うわけで、ここはイスラエルの国境警備隊によって厳重に管理された宗教施設だった。
 現在は、内部は完全に2つに分けられ、モスクとシナゴーグが置かれている。ここでも、ものものしいチェックが行われていた。ただし、日本人については、フリーパスに近い状況。
 このマクベラの洞穴は、「マクベラの洞穴虐殺事件」があった場所でもある。1994年2月25日、USA出身でイスラエル入植地に住むユダヤ人のバールーフ・ゴールドシュテインがイスラム側で銃を乱射。29名を殺害し、152名を負傷させた。その後、ヘブロンには「ヘブロン暫定国連監視団」が置かれている。

 ヘブロンを離れて、バスでベツレヘムへと戻る。この時に隣りに座ったパレスチナ人のオッちゃんも、USAのことを言っていた。相当に嫌われているようである。
 ベツレヘムでバスを降りると、家族連れのオバちゃんが「わたしについて来い!」てな感じでオリエント伯爵を誘導してくれる。でも、「セントラル」に行きたいと言ったのを、「セントラル・ホテル」に行きたいと勘違いしたようで…で、インターコンチネンタルホテルに連れて行ってくれた…よく分からん(笑)。でも、親切だったことに間違いはないであろう。
 そのおかげで、偶然に分離壁の落書きを見つけることができた。この分離壁は、イスラエルが「自爆テロ防止のため」という名目で建設したものである。その理由にも一定の説得力があるのは事実である。しかし、この分離壁の影響で、パレスチナの土地は分断され、パレスチナ人は生活に著しい不便をきたしているのも事実なのである。

 ベツレヘムの中心地へと徒歩で向かう。地図がないので、道がよく分からない。でも、目的の「聖誕教会」に到着することができた。良かった、良かった!!!途中、オプションとして、二極化されているパレスチナ人も堪能させてもらった。こちらは、面倒くさかった…。
 オリエント伯爵基準ではないものの、聖誕教会は世界遺産に認定されている。キリストが生まれたとされている洞穴に建てられており、ローマ・カトリック(フランシスコ会)、オーソドックス(正教会)、アルメニア教会の共同管理となっている。
 ここは観光地というよりは、本物の宗教施設といった感じである。多くの人々が、信仰心から訪れ祈りを捧げているのが感じられた。もちろん、態度の悪い欧米人観光客も少なからずいたのは事実。このような欧米人の態度には慣れてきているとはいえ、気持ちのいいものではない。

 ベツレヘム市街地からバス乗り場まで戻る。途中、スーパー・マーケットを発見したので寄ってみることにした。なんと、中東産と思われるビールが売っているではないか。イスラエルより物価が安いパレスチナなのでコーラと合わせて購入することにした。
 店員に聞いた値段は、2つ合わせて14ILS。ただ、どうも胡散臭い。レジに持って行くと、値段を教えたニイちゃんとレジ打ちのニイちゃんがヒソヒソと話している。分かりやすいねぇ〜(呆れ顔…)。
 レジ打ちのニイちゃんは「14ILS」と言う。「いいから、バーコード・チェッカーを通せよ」と言い返す。3度ほど強い態度で臨んだ結果、諦めてチェッカーを通すニイちゃん。はい、11.5ILSでした。こういう“気持ちの悪い商売”をしているうちは、その国は発展しないんだよねぇ〜。今の時代、1回の売上を大切にするのではなく、信用を大切にしないとやっていけないよ。

 パレスチナはイスラム地域なので、隠れてビールを飲むことにする。乾いた喉に染み入りますねぇ〜。バスにてエルサレムに戻り、バスTからは歩いて宿をめざすことにする。この宿は「オリーブ山」という場所の頂上付近にあるので、街からだと基本的に登りとなる。でも、歩けないほどの距離でも高低差でもない。
 宿に戻る直前、近所のガキ…失礼、子どもたちから砂を投げられる。ヒットはしなかったんだけれど、責任ある大人として、ガッツリと叱りつけてあげることにした。そうとうに、ガッツリとね(笑)。最後に、主犯のガキに「ごめんなさい」を言わせて、握手してハグしてあげる。んっ?仕事してるみたいだなあ〜(笑)!!!
 「失敗はしちゃいけないんです」。「でも、失敗ってしちゃうんだよね」。「大切なのは失敗したことに気づくこと」。「それと、失敗した後の言動なんですよねぇ」。「そんなこと言ったって、同じ失敗を繰り返すんですけどねっ」。
 長い1日が終了した…。
 

 
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