

スルタンアフメト・モスク
(ブルー・モスク)



アヤソフィア




トプカプ宮殿 |
比較的早くに目覚める。身支度を整えて、日記を書いていると、昨日一緒に広場で話をしたYusuさん&Hareさんから、イスタンブル観光のお誘いをいただいた。もちろん、ありがたく、一緒させてもらうことにする。
ちなみに、お二人は、ご夫婦で、新婚旅行を兼ねて世界をまわっているらしい。Yusuさん&Hareさんも、今まで出会ってきたご夫婦と同じく、素敵な方々である。
早速だけれど、観光地としての「イスタンブルの歴史地区」の評価は、「★★★☆☆」である。実際に訪れたのは、スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)、アヤソフィア、トプカプ宮殿。これは、イスタンブル観光の“王道”と言ってもいいだろう。
ブルー・モスクは、たしかに立派である。しかし、内部がどうも好きになれなかった。アヤソフィアも、たしかに立派である。しかし、入場料が高い。内部については、漆喰が剥がれて(剥がされて?)、正教会時代のモザイク画が見られるなど、とても興味深い。ここがなければ、星の数は減少したと思われる。トプカプ宮殿もまた、たしかに立派である。しかし、ここも入場料が高い。更に、全体としての調和に欠けるように思えた。
また、一大観光地なので、人が多すぎたのも評価を押し下げてたのかもしれない。兎にも角にも、すごい数の人だった。
イスタンブルといえば、オスマン帝国についてふれなくてはならない。オスマン帝国の起源は、アナトリアの北西部に起こったオスマン1世が率いた軍事的集団だとされている。13世紀末ごろのこととされる。
その後、アナトリア北西部をおさえ、ブルサを首都と定める。混乱を続ける東ローマ帝国の衰えを尻目にヨーロッパに領土を広げ、現在のトルコ領であるヨーロッパ地域を14世紀半ばには支配していく。
14世紀後半、オスマン帝国は版図を一気に広げることとなる。オスマン帝国の侵攻により、セルビア王国、第2次ブルガリア帝国は瓦解することとなり、東ローマ帝国の勢力は著しく衰えた。その後も、ギリシャのペロポネソス半島、アルバニア、ボスニアまで侵攻し、十字軍の攻撃も退けた。
15世紀初頭、一時、ティムールに破られるものの、10年後には再統合に成功。次々に失地を回復し、15世紀半ばには、東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープル(イスタンブル)は陥落し、東ローマ帝国は名実ともに滅びた。この後、イスタンブルがオスマン帝国の首都となる。
このころから、スルタンの絶対化と中央集権国家としての仕組みが確立していき、ギリシャ人やセルビア人が重用された。また、15世紀後半には、黒海とエーゲ海の沿岸部や諸島を占領していき、両海域を「オスマンの内海」とするにいたった。
この後も勢力拡大は続く。ペルシャのサファヴィー朝を破り、アナトリア東部の支配を確立。エジプトのマムルーク朝を滅ぼして、メッカとメディナの保護権を掌握。ベオグラードを征服、ハンガリー王国に戦勝、第1次ウィーン包囲と続き、ダルマチア、クロアチア、スロベニアも侵攻を受けた。地中海の制海権を握り、アナトリアの支配を確実なものにし、イラクのバグダッド、イエメンのアデンを征服した。こうして、オスマン帝国は絶頂期を迎えたのである。このオスマン帝国が滅亡するのは、20世紀になってからのことである。その話は、後ほど…。
Yusuさん&Hareさんとは、観光終了後に別行動。オリエント伯爵は宿に戻ることにする。夜になったので、晩飯にチキンの丸焼きを食べようと数人で探してみるものの見つからなかった…。仕方がないので、この日もサンドイッチでお茶を濁すことにした。
トルコの蒸溜酒である「ラク」を飲みながら、日本人の旅人と話をする。こうした時間を味わいたくて、この宿に宿泊することにしたのだ。ちなみに、この宿自体は、あまりイイ宿とはいえない。でも、宿泊客が素晴らしいのは間違いない!
結局、東欧を旅してきた娘と、朝方まで飲み続けてしまったオリエント伯爵だった…。いやいや、飲んだ飲んだ!!! |