
Hostel Albania

アルバニアの大地
ホントに
長閑な風景が続く

コソボへ向かう道は
一転して
山岳地帯を抜けていく
そして
一転して
素晴らしい道路が続く |
朝起きて、身支度を整える。それにしても、アドリア海沿岸部に戻ってきてから、毎晩雨が降っている。それも、かなり激しい雨だ。ティラナでは、2晩続けての雷雨だったし。この時期は、夜になると雨が降ることになっているのかもしれない。まあ、大切なのは日中の天気なので、ぜんぜん問題ではないんだけれどね!
今日でアルバニアとはお別れとなる。日本人にとって、アルバニアという国はメジャーな国ではない。しかし、この国ほど数奇な近代史をもつ国も珍しいのではないかと思う。
バルカン半島では、オーストラリア帝国(ハプスブルク家)、オスマン帝国、ロシア帝国のパワーゲームが繰り広げられたことは以前に書いた通りである。アルバニアは約400年にわたってオスマン帝国の支配下に置かれていた。
第1次バルカン戦争の結果、1914年、アルバニア公国として独立を果たす。戦争終結時、アルバニアの地はギリシャとセルビアが占領していたので、両国にとっては不満が残ったものの列強の言うことに逆らうわけにはいかなかったというのが実際のようである。
しかし、すぐさま第一次世界大戦が勃発。独立して間もないだけではなく、自ら勝ち取ったと言うよりは列強の思惑によって独立を果たしたアルバニアは無力であった。君主ヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィートは母国ドイツに亡命。そのままアルバニアに戻ることはなかった。
無政府状態に陥ったアルバニアだったけれど、1920年に君主不在のまま政府を再建、1925年にアルバニア共和国となり、1928年に大統領が王位に就いてアルバニア王国となった。ちなみに、いずれの時期も、国内の政情は不安定なままであった。
1939年、イタリア軍がアルバニアに侵攻。4日間で全国土を占領されてしまう。こうしてイタリアの植民地のようになったアルバニアには、イタリアの傀儡政権が樹立された。
第二次世界大戦でイタリアが降伏した後、ドイツ軍がアルバニアの地を占領する。1944年、ソビエトの支援を得たパルチザンが国土を開放し、1946年には社会主義国家であるアルバニア人民共和国が誕生した。ここまででも、ヨーロッパの他の社会主義国家とは、少々異なる歩みなのだけれど、ここからが…酷すぎる…。
アルバニアで実権を握ったのは、エンヴェル・ホッジャである。彼はスターリン主義の信奉者であった。そのため、旧ユーゴスラビアがソビエトと対立すると、旧ユーゴスラビアとは断交。スターリンの死後、ソビエトで「スターリン批判」が行われるとソビエトとも外交関係を断ち、中華人民共和国と近づいた。
ヨーロッパの社会主義国家で、ソビエトとの関係を悪化させるというのは大きな軍事的リスクを伴う。その結果、アルバニアは極端な軍事国家となり国民に大量の武器が行き渡ることとなった。
中華人民共和国に近づいたホッジャは、今度は文化大革命に影響を受けるようになる。こうして、無神国家宣言を行い、宗教を徹底弾圧した。しかし、毛沢東の死後、文化大革命は終焉を迎える。このため、今度は、中華人民共和国を批判。こうして、アルバニアは完全に孤立した国となってしまった。
スターリン主義といい、文化大革命といい、現在では“愚の骨頂”とも言うべき2つの思想に傾倒してしまったホッジャのセンスのなさによって、アルバニアは現在にいたっても困難な状況に立たされていると言うこともできる。こう考えると、政治って怖いものである…。
1980年代になると、アルバニアは鎖国状態となる。鎖国ですよ…20世紀末にそんなことしたら経済は無茶苦茶になるに決っている。1985年、やっとホッジャが死去してくれる。しかし、葬儀に際しても、外国政府の弔問をことごとく断ったそうだ。ここまで徹底してアホになれるとは…イデオロギーとは恐ろしいものである。
ホッジャの後を引き継いだラミズ・アリアは、少なくても前任者よりは有能な政治家だったようだ。この後、アルバニアは徐々に開放路線を歩むことになる。しかし、時期が悪すぎた。そう、1989年に起きた東欧革命である。
東欧革命の影響は、社会主義国家だったアルバニアにも影響を与えないわけはなかった。1992年の総選挙でアリア陣営は敗北。アルバニアは急速に市場経済へと移行することになる。
この市場経済への移行がアルバニアを不幸のどん底に突き落とすことになる。なんと、「市場経済=ネズミ講」だと思ってしまったのだ。ご存知のように、ネズミ講とは新たな参加者がいなくなった時点で破綻する仕組みとなっている。しかし、アルバニアのネズミ講は長く破綻することはなかった。このことが、問題をより深刻にしたといえる。なぜ破綻しなかったこと言えば、この時に発生していた「ユーゴスラビア紛争」が原因である。
アルバニアに存在していたネズミ講の会社は、周辺国への武器売却によって資金を調達し続けたのである。よって、当然のように、ユーゴスラビア紛争が集結した時点で、この“ビジネス”は破綻することになる。
1995年のデイトン合意を受けて、ユーゴスラビア紛争は終結へと向かうことになる。そして、1997年、ついにアルバニアのネズミ講6社が破綻することになった。国民の大部分が出資者となっていたために、国民の大部分が資産を失ったことになる。
この破綻に端を発して、アルバニア暴動が勃発。特に、アルバニア南部は無政府状態に陥ることとなる。なお、この暴動の沈静化には、国連軍の登場まで待たねばならなかった。
なお、このアルバニア暴動により、1996年より紛争状態にあったコソボに大量の武器が流れ込んだとされている。また、文化的にも差異のあった北部と南部の対立が大きくなったとも言われている。
こうした混乱から、「正」の要素が生み出されることは極めて稀である。そのことは、アルバニアにも当てはまる。それは、たった2泊3日、首都ティラナ限定の旅でも十分に感じ取ることができる。
そんなアルバニアともお別れ。時間になったので、バス会社の前まで歩いて行く。出発まで45分くらいあったけれど、すでに乗車することができた。
昨日、バス会社のオバちゃんが、「明日になったら満席かも…学生がたくさん乗るからねえ〜」と言っていた。しかし、そんなことはなく、車内はガラガラ!まあ、そんなもんだと思っていると…。
いやいや、出発が近づくに連れて、乗客がどんどん増えてくる。あっいう間に車内は満席になった。うっそ〜!!!オバちゃん、ホントのこと言ってたんだね。まったく信じていなかった…ごめんね。
時間になったので、バスは出発。バスは新しいのだけれど、アルバニアの道路インフラは、ヨーロッパ最低レベル。そのため、バスはちんたらと走っていく。
しばらくすると、北上していたバスは、進路を東に変える。周囲の景色は、街から山へと劇的に変化した。いやいや、この山々、なかなかの迫力である。そして、道路は、驚くほどに整備されたものに変わった。
たまに目にする旧道は、山肌にしがみついたり、谷底をくねくねしたりしている。今走っている新道は、コソボを意識して外国の援助によってつくられたと思われる。
ちなみに、このルートは、数年前までは外国人が通れるような安全なものではなかった。コソボ紛争の影響で、大量の難民が流入するし、コソボ解放軍はいるしといった地域だったようだ。それが、今では、快適な一本道が続いている。やっぱり、平和ってすごい!!!
分水嶺と思えるところを越えても、まだ国境には着かない。アルバニアとコソボの国境は、自然条件によって引かれたものではないようだ。ちなみに、コソボには大量のアルバニア人が住んでいる。ということは、アルバニアと旧ユーゴスラビアの国境が、自然地理的にも人文地理的にも不自然だということにつながる。
やっと国境に到着。どうやら、バスは相当に遅れているようだ。アルバニアのイミグレーションでは、パスポートのチェックすらなかった。こんな簡単でいいの???
兎にも角にも、噂通りに親切な国民が多かったアルバニアだった。ティラナ以外の田舎にも行きたかったな!「ファルミンデル=Thank you」!
無事、アルバニア共和国を出国。
バスに乗ったまま10秒ほどでコソボのイミグレーション。係官がバスに乗り込んできてパスポートを回収していく。と、どうやらIDカードを紛失してしまった人がいるようだ。探したけれど見つからない。でも、入国しちゃった…いいのか、それで???
無事、コソボ共和国に入国。
バスはプリズレンに到着。でも、どう見ても街じゃない!乗務員は、バスTには、あのミニバスに乗れと言っている。おいおい、バス会社のオバちゃんは、バスTに停まるって言ってたよ。というか、30分前にあんたも言ってたじゃんか!
すると、そこにいたオニイちゃんが、「あのミニバスは無料だよ。大型バスは街に行きたがらないんだ」と教えてくれた。いきなり、コソボで親切に遭遇!そう、この国は、親切なアルバニア人が多く住む国なのだ。
というわけで、ミニバスに乗り込む。出発早々に、オリエント伯爵のバックパックが後方の荷物室から転がり落ちるというアクシデントがあったものの(笑)、車内のアルバニア人たちはホントに親切。
無事にプリズレンのバスTに到着。でも、真っ暗だ…(笑)。すると、女の娘4人組が、ついてきてと言ってくれる。「○○ホテル(聞き取れなかった)に行くんでしょ」と言われた。えっと〜違うんですけど…。
そこから、4人の女の娘は、オリエント伯爵が持っていた地図を見ながらの大検討会となった。当事者のオリエント伯爵は完全に蚊帳の外(笑)。もう、この娘達に任せるとしよう。
どうやら、結論が出たようで、4人の女の娘たちと一緒に宿に向かうことにする。なんと、17歳の高校生とのこと。3人は、きちんとスカーフをしている。敬虔なイスラム教徒なのかな?男性と街を歩いていていいのか???
高校生にして、ホームタウンのプリズレンを離れて、アルバニアの学校に通っているんだって。今日で学校が終わったので、帰省したと言っていた。ああ、それで、バス会社のオバちゃんが学生がたくさん乗るって言っていたのね。
ちなみに、4人のうちの1人、無茶苦茶に可愛かった(笑)。17歳に対する感想じゃないなあ…いやいや、でも、ホントに可愛かったので!写真がないのが残念。フラッシュさえ壊れてなかったらなあ…。
こうして、4人の女の娘のおかげで、無事に宿に到着。宿のスタッフもフレンドリーでイイ感じ。更に、ドミトリーはオリエント伯爵1人だけ。コソボの旅は、とってもナイスな幕開けとなった!!! |