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  2013年2月  
 
サラエヴォ サラエヴォ サラエヴォ
 

 

ジ・フスレヴ・ベグ
モスク



アリ・パシャ モスク



セルビア正教会 大聖堂



カトリック 大聖堂
 ここサラエヴォの街では、ユックリすることに決めているオリエント伯爵。そう、間違いなく、最近、疲れている。日本語で最後に会話したのは2月13日(スロベニア)、日本人と最後に宿で会ったのは2月5日(イタリア)、日本語がある程度話せる人と飲んだのは1月7日(ドイツ)。日本人と最後に宴をしたのは12月11日(ハンガリー)。なんと、2ヶ月以上、日本人との宴から遠ざかっている。これで、疲れが出ない方がおかしいというものだ。…と再掲載。

 この日は、バスTまで行って、次の目的地までのバスの確認をした。途中で、嘘の理由をくっつけて、10BAMくれよというオッちゃんに遭遇した。まあ、普通の日なら、日記に書くような出来事じゃないんだけど、書くことがあまりないので…(笑)。
 なんと、バスの出発時間は朝の6時。殺人的な出発時間である。なにを考えてこのような時間設定にしてあるのか…。あまり行ってほしくないので、こんな時間に設定しているとしか思えない。

 ここサラエヴォ。歴史的には、いろいろな側面をもった、興味深い街なのである。そこで、そんなことを調べてみる。今日は、その第1弾。タイトルは、「イスラム教と正教会とカトリックが混在する街」。

 この地の南スラブ人は、諸部族ごとに分裂して暮らし、東ローマ帝国の影響下にあった。衰退と復興を繰り返した東ローマ帝国。12世紀後半は、間違いなく衰退の時期であった。こうした流れの中、バルカン半島の人々は東ローマ帝国に反旗を翻し、1171年にはセルビア王国が、1185年には第二次ブルガリア王国が独立した。
 1217年、セルビア王国は、ローマ教皇より王冠を授与される。ちなみに、東ローマ帝国の宗教は正教会(オーソドックス)であり、ローマ教皇とはカトリックのトップである。2つの宗教は同じキリスト教でありながら対立しており、第4次十字軍の対象は、東ローマ帝国の首都であり、正教会の総本山ともいえる街、コンスタンティノープル(現:イスタンブル)であったほどである。

 14世紀前半、セルビア王国は最盛期を迎える。しかし、東方からはオスマン帝国が侵攻を始めていた。1371年のマリツァの戦い、1389年のコソボの戦いで、セルビア王国はオスマン帝国に敗北。結果、オスマン帝国の影響下に置かれることとなった。その後も、領地はオスマン帝国に併合されていき、1459年、セルビア王国は消滅する。
 16世紀に入ると、オスマン帝国の勢力はハンガリー王国をも脅かすようになる。1521年にベオグラードを征服、更に、1526年のモハーチの戦いでハンガリー軍に壊滅的打撃を与えた。この後、ハンガリー王国は、ハプスブルク家の影響下に置かれた「王領ハンガリー」、オスマン帝国の影響下に置かれた「オスマン帝国領ハンガリー」、両勢力の間を渡り歩くことになった「トランシルヴァニア公国」に3分割された。

 1683年、オスマン帝国はハプスブルク家に対して、「第2次ウィーン包囲」を実施。しかし、反対に、ヨーロッパ連合国軍によって壊滅的打撃を受けることとなる。1684年には、神聖ローマ帝国、ポーランド・リトアニア共和国、ヴェネツィア共和国の間で「神聖同盟」が結ばれ、オスマン帝国に対するヨーロッパ諸国の反攻が始まった。
 この反抗は、「大トルコ戦争」と呼ばれている。神聖同盟軍は戦闘を有利に進め、1688年にはバルカン半島にも侵攻、一時はベオグラードを奪還する勢いであった。
 1699年、カルロヴィッツ条約の締結によって大トルコ戦争は終結。トランシルヴァニア公国も含めたハンガリー、および現クロアチア東部のスラヴォニアの地はハプスブルク家領となった。
 その後、1716年の墺土戦争によって、バナト地方、セルビア北部、ボスニア北部がハプスブルク家領となった。この時、ベオグラードもオスマン帝国の支配から脱している。

 1804年の第1次セルビア蜂起は失敗に終わったものの、1815年の第2次セルビア蜂起によって、セルビア公国が成立。1875年のヘルツェゴヴィナ蜂起を引き金に、セルビア公国はオスマン帝国と開戦。
 この戦闘によって、セルビア公国はオスマン帝国によって大打撃を受ける。しかし、ロシア帝国の介入により1877年には露土戦争が勃発。セルビアは、再びオスマン帝国と開戦する。この戦争はロシア帝国の勝利となり、セルビア公国はオスマン帝国から完全に独立を果たし、1882年にはセルビア王国となる。
 1912年、ロシアの仲介によって、ブルガリア、セルビア、ギリシャ、モンテネグロはバルカン同盟を締結。オスマン帝国に対して宣戦布告。第1次バルカン戦争と呼ばれる。この戦争によって、オスマン帝国は、バルカン半島から撤退することとなった。こうして、バルカン半島には、ハプスブルク家が母体であるオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の影響力が強く残ることとなった。

 ちなみに、オスマン帝国の宗教はイスラム教、ロシア帝国の宗教は正教会、オーストリア・ハンガリー帝国の宗教はカトリックである。これが、この地に3つの宗教が存在する“大まかな”理由である。
 

 
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