↓アッシジ↓

サン・フランチェスコ聖堂

外部から撮った内部の壁画
(内部は撮影禁止)

隊長の館(左)
ポポロの塔(中)
ミネルヴァ神殿(右)



サンタ・キアーラ教会から

サンタ・キアーラ教会

サン・ルフィーノ大聖堂

大城塞

四角い塔からの風景(南)

塔の最上部からの風景(西)

塔の最上部からの風景(東)

東側の近い方の塔から

遠い方の塔と城壁上部

当時のままの通路

東側の遠い方の塔から(西)

東側の遠い方の塔から(南)

東側の遠い方の塔から(北)


ペルージャでの最後の夕食 |
今日の目覚まし時計は、イイ仕事をしてくれた。というか、普通に役目をこなしただけなのだけれど。もっと酷な言い方をすれば、目覚ましが鳴る前に起きたので、最も重要な仕事はしていないことになる…。つまり、順調に時を刻んでくれただけ。 身支度を整えて、昨日に引き続き朝食をご馳走になる。一口に“ヨーロッパの朝食”といっても、国によって、いや個人によって様々。日本での朝食を考えればアタリマエのこと。でも、そうしたことを経験として蓄積できるのは、様々なご家庭に泊めさせていただいたから。たくさんのことを学ばせていただいている。
この日は、パオラさんにペルージャのバスTまで送っていただいた。早速、アッシジ行きの出発時間を聞きチケットを往復で購入。この往復チケット購入が、後になって悲劇を生むことになる(大袈裟…)。 バスは予想以上に少ないようで、30分以上の待ち時間。この時、バスが少ないという事実を重要視しなかったことが、後になって悲劇を生むことになる(再び大袈裟…)。 バスに乗って、アッシジへと向かう。この運転手、かなりいい加減なオッちゃんのようで、途中で空港に寄るのを忘れやがった(笑)!そう。イタリア人の中には、かなりいい加減な人もいるのだ。このいい加減さが、後になって悲劇を生むことになる(だから大袈裟…)。
バスはアッシジの旧市街に到着。現在の中心地からは5キロほど離れている。バスを降りて、帰りのバス時間を確認しようとする。しかし、なぜか時刻表を発見することができず。近くのインフォメーションのオッちゃんは、不親切で教えてくれなかった。 なんとかなるだろうと、アッシジの旧市街へと向かうことにする。まず訪れたサン・フランチェスコ聖堂で圧倒されてしまった…。なんなんだ、この美しさは!!!そのへんの美術館の中には、看板を下ろさなくちゃいけないところが続出だよ。 いやいや、ホントに美しかった。内部は撮影禁止だったのが残念だったなあ〜。マナーの悪いヨーロピアンは撮ってた人もいたけどね。オリエント伯爵は、素晴らしさに圧倒されてしまった感じ。でも、外部から内部を少しだけ…。
サン・フランチェスコ聖堂を十分に堪能したオリエント伯爵。一応、地図を写真に撮っておいたんだけど、相変わらず役には立たない(笑)。もう役に立たないのを前提にしているので、観光の時には怒る気にもならないどころか何も感じなくなっている。宿探しの時は困るんだけどね…。だから、最近、この本の地図は使っていない(笑)。 気づけば、街の反対側のサンタ・キアーラ教会に。ここらかの風景は、なかなかのものだった。ただし、この後に、とんでもない風景を見せてくれる場所に行くことになる…。 街を引き返すことにする。もちろん、同じ道を通るほどアホではない。まずは、サン・ルフィーノ大聖堂に寄ることにする。大聖堂といえば、その街の中心となっている聖堂が多いのだけれど、この街では確実にサン・フランチェスコ聖堂にその座を譲っている。 ここから、大城塞の姿を見ることができた。なんとも、素晴らしい姿である。もともと“城好き”のオリエント伯爵。速攻で、訪問決定。とりあえず、大城塞のある方角へと歩いていくことにした。
予想以上に簡単に大城塞に到着。なんと、入場料が必要のようである。少しだけ迷ったものの、麓から見た姿が格好良かったので(あんたは何歳なんだ…)、入場することにする。 大城塞の内部に潜入する。最初は、「ああ、なるほどね〜」といった感じだった。想定していた通りの“城塞”だったのである。高いところに登ることができるようなので、登ってみることにする。
えっ?なにこれ???…螺旋階段と言ってしまえば、それまでなのだけれど、その螺旋がハンパないのだ。こんな強烈な階段、今までの旅で初めて見た。 とりあえず狭い。加えて、ステップ幅も狭い。更に、安全対策は必要最低限。足を滑らせたら、そのまま下までズルズルと行ってしまいそうである。日本なら、絶対に、登ることが禁止にされてしまう階段である。 この階段からは3回ほど脱出することができる。階段が付いているのは四角い箱のような塔の端。左の写真で高くそびえている四角い塔である。以前の形態は分からないけれど、少なくても2013年2月1日現在、この塔の各フロアーに“きちんとした床”はない。 でもフロアーに出ることができる。そう、アクリル製の透明な“仮の床”が存在しているのである。鉄筋で梁をつくっているのだけれど、どう見ても壁の窪みに鉄筋を引っ掛けているようにしか見えない。きっと、そんなことはないんだと思う。でも、どうしてもそう見えてしまうのである。 そんな恐ろしげなフロアーなら、踏み込まなければいいのだ。しかし、窓の外の景色は素晴らしいことが容易に想像できる。実際に窓から覗いてみると、やっぱり素晴らしい。
そんなこんなで、無事に塔の最上部に到着。これまた、美しい景色である。しかし、街が広がる南側を見ることができない。いや、できることはてぎるのだ。ただ、その部屋だけは、すべての方向の窓に金網が張られているのだ。 なんのためになのかは、まったく分からない…。やはり、南側に広がる街を見たければ、あの透明な床に足を踏み出さなければならないのだ。臆病者には景色を見せないために金網が張ってあるのかな??? 北側は山が広がっている。西側は小城塞と街の一部が見える。そして、東側には2つの塔と100mほどの城壁がある。どうやら、遠い方の塔の上にも人がいるようである。「あっちも登れるのか〜あっちの方が良かったかな〜」と思っていた。
四角い箱のような塔を降りて、グルッと1周…あれっ?なんか、東側の塔にも行けるような気配。ただし、その入口の横には立入禁止の柵が存在している。あくまでも、入口は塞いでいない。入口の横に立てかけてあるだけである。 「面白そうだし、行ってみるか〜」てな感じで、行けるところまで行ってみようと思い足を踏み入れる。どうやら、東側の近い方の塔に登れるようである。こちらの螺旋階段は鉄製の階段なので当時のものではない。当時の様子は分からないけれど、梯子でも掛けていたのかな? 危なっかしいのは同じだけれど、先ほどの塔に比べれば危なっかしさの程度はグッと低くなった。途中気になる横穴があったけれど、まずは最上部をめざすことにする。難なく最上部に到達することができた。 ここからは、先ほどまでいた四角い箱のような塔の全景を見ることができる。そして、城壁の先には、遠い方の塔の姿も見ることができる。途中までは城壁の上を歩いていくこともできた。なかなかに、楽しい時間である。プチ探検家気分を味わう。
近い方の塔を降りることにする。さて、途中にあった気になる横穴。もちろん、足を踏み入れることにする。今のオリエント伯爵の気分は、プチ探検家なのである。 かなり昔に流行った『水曜スペシャル 川口浩探検隊シリーズ』を彷彿とさせる展開である。この番組、1978年3月〜1985年11月に放送された番組。オリエント伯爵と同世代の方には、懐かしい響きのある番組名であろうし、おそらく知らない人はいないと思われる。 番組は、完全に“ヤラセ”の連続で構成されている。もちろん、視聴者はそれを織り込み済みで見ているのである。ただし、当時は(も?)純粋な子どもだったオリエント伯爵は、最初の頃は“マジな出来事”だと思っていたのも事実である。 ちなみに、この番組をモチーフにし、1984年にリリースされた、嘉門達夫のパロディ・ソング『ゆけ!ゆけ!川口浩』は、かなりヒットしたと記憶している。こちらの歌も、オリエント伯爵と同世代の方には懐かしい響きがあるのではないだろうか。
さて、川口浩ならぬオリエント伯爵探検隊(といっても1人…)。横穴に足を踏み入れて、階段を降りきっての光景には驚かされた。そこには、昔のままの通路が、そのまま存在していたのである。 明かり取りにもなっていると思われる窓は、城壁の外側にしか配置されていない。警備の兵士が、城の内部を覗く必要はないからであろう。もちろん、ライトなど設置されていない。窓からの光のみが光源である。これは凄い。ドキドキしながら、とりあえず、進んでみることにした。 相当に暗く、明かり取りの窓がない所では、足元すら見えない。ところどころに水が溜まっているらしく、時折、ピチャッという音が足元から聞こえる。
どうやら、通路の最終地点まで来たようである。しかし、ここが真っ暗なのである。ホントに、真っ暗。もう、何も見えない。目が慣れるとかいう問題ではない。兎にも角にも、真っ暗なのである。 まだ、通路が続いているのか、穴がポッカリ開いているのか、階段があるのか、行き止まりになっているのか、そんなこともまったく分からないほどの暗闇。おそらく、暗所恐怖症の人ならば、我慢することはできないだろう。ちなみに、四角い箱のような塔の各フロアーは、高所恐怖症の人には、我慢することはできないと思われる。ある意味で、この大要塞は過酷な建造物といえる…かな??? 手探り&足探りで進んでいくオリエント伯爵。すると、足先に反応があった。どうやら、上に続く階段があるようである。感覚からすると石のようである。つまり、当時のままの構造。まあ、このシチュエーションならば、当時のままに決まっているんだけど。 1段1段、ユックリと、慎重に、歩みを進めていく。ホントに、次のステップがなくて、真っ逆さまに落下する穴が開いていても分からないほどに暗いのだ。しかも、ステップの上には、小さな瓦礫の破片と思われる物体が散乱している。つまり、足場が安定していない。 ちなみに、もちろんライトは持っている。しかし、それはサブ・バックの中。今回は手ぶらなので、ライトはニコラさん&パオラさんの家に置いたままである。
やっと上の方が明るくなってきた。どうやら、出口があるようた。出てみると、予想通りに、そこは東側の遠い方の塔だった。ここらかの風景もまた、素晴らしいものだった。 西側には四角い箱のような塔と近い方の塔が見え、南側はアッシジの街を一望することができ、東側はサン・フランチェスコ聖堂を臨むことができ、北側には田園風景が広がっていた。ちなみに、左側のサン・フランチェスコ聖堂とサンタ・キアーラ教会の外観写真は、ここから撮影したものである。 眺めを堪能して、再び暗い暗い階段を通り、城壁の中の通路を歩き、近い方の塔を下り、四角い箱のような塔の場所まで戻ってきた。この大要塞は、入場して大正解であった!!!
アッシジのバスTまで、街並みを楽しみながら歩くことにする。この街もまた、とても美しい街である。更に、メインの通りを外れると、誰もいない静かな時間を味わうことができる。最高である。 14:00少し前にバスTに到着。観光地としての「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」の評価は、「★★★★★」である。街が素晴らしい、宗教施設が素晴らしい、大城塞が素晴らしい、周囲の風景が素晴らしい。言うことなしの場所である。 ただし、1つだけ気になることがある。この時期はオフ・シーズン。にもかかわらず、他の場所と比べて、かなりの数の観光客がいた。そこから予想すると、オン・シーズンには、人で溢れることも予想される。そうなると、雰囲気は変わってしまうかもしれない。
ペルージャまでバスで戻ることにする。インフォメーションの人は、オネエちゃんに変わっていた。バスの時間を聞いてみると、やっぱり分からないとのこと。でも、時刻表がないんだよ〜と言うと、近くのバーて聞いてみたらと言われた。 早速、近くのバーで時間を聞いてみる。そこのオッちゃん、14:45が次のバスの出発時間だよと教えてくれた。なんと、45分近いロスである。このままだと、ペルージャの街を見る時間は、あまり残されていないようだ。残念だけど、アッシジが素晴らしかったので良しとしよう!ペルージャの旧市街を、まったく見ることができないわけではないのだ!!! 15:00になっても、バスはやって来なかった。もう一度、バーのオッちゃんに聞いてみた。近くのオニイちゃんがバス停まで来てくれて、時間表を確認する。なんと、こんな所にあったのか…。そう、しっかりと、バス停のポールに掲載されていた。なんで、見つけることができなかったのかが不思議なほど…。 すると、次のバスは17:00過ぎになるようだ…えっっっっっ〜、それは困るぞ!!!ペルージャの街を見ることができないどころか、パオラさんとの待ち合わせ時間にも間に合わない。ここで若干の思考停止…。
どうやら、バスは13:45にあったようである。おそらく、オリエント伯爵がバスTに到着する、ちょっと前に出発してしまったのだろう。この時の混乱は予想以上だったようで、しばらくアクションを起こすことができなかった。 反対方向に行くバスが来て、改めて時間を確認するものの、今知っていることが間違いないことが分かっただけ。よし、こうなったら、状況を打開するしかない。このままここにいても、どうにもならないのだから。
まずは、街に行くバスに乗り、アッシジ駅まで行くことにする。ここからバスがあるようなことを言っていた気がするけれど、どうやらペルージャに行くバスはないようだ。 そうなると、列車で移動するしかない。せっかく、バスのチケットを持っているのに、そのチケットを使うことはできない。今回の移動は、時間とお金をロスしてしまう結果となっちゃった…。 しかし、ここで、少しだけラッキーなことが。列車が遅れていて、乗ることのできないはずの列車に乗ることができたのだ。こうして、無事にペルージャの街に戻ることはできた。
かなり遅い時間だったけれど、ペルージャの旧市街をめざす。しかし、ペルージャのバスTからのルートを想定したので、ペルージャ駅から旧市街へ向かうルートがよく分からない。結局、道が分からなくて駅まで引き返すことになった。この時点で、ペルージャの旧市街を訪問することは断念することにした。 待ち合わせ時間にパオラさんと会い、家まで車に乗せてもらう。この日も夕食をご馳走になった。なんと、ライスと魚である。久しぶの魚に舌鼓をうつ。もちろん、美味しかった!!!ペルージャ最後の夜は、静かに更けていった。 |