世界旅HOME   南ヨーロッパ   イタリア   2013年1月  
 
チューリヒ→トリノ トリノ トリノ
 

 

朝の一杯
このチョコの飲み物
無茶苦茶に美味かった



Consolata教会
チョコの店はすぐ向かい



ポツンと佇む古い門



Duomo





Palazzo Reale





Palazzo Madama





Palazzo Carignano



ポー河



遠くアルプスを望む



アルプスと
Mole Antonelliana
残念ながら
写真だとわかりづらい…





Villa della Regina
 ギリシャを出国したのが11月の上旬なので、2ヶ月半ぶりに南ヨーロッパに戻ってきたことになる。列車で出会ったオッちゃんから始まって、ニコロさんとの再会と、再スタートは上々の滑り出しとなった。
 朝起きて、身支度をして、ニコロさんと一緒に家を出る。一緒にチョコレート・プレイスに行こうとのことになったのだ。ニコロさんの出身はペルージャ(Perugia)という街で、チョコが有名なんだそうだ。もちろん、日本人にとっては、中田英寿が所属したフットボール・チームの本拠地だったということで馴染み深い街だと思われる(よね…?)。
 ニコロさんが好きだというチョコの店に入る。そこで飲んだチョコの飲み物は、マジで美味かった。イタリアという国、なかなかに凄い国ですよ!!!
 この後、ニコロさんとは別行動。勉強があるとのことで家に戻ったのだ。もうすぐテストなんだって。忙しいのに、申し訳ないです。1人になったオリエント伯爵は、トリノのセントラルへと向かった。と言っても、この場所、すでにセントラルだったんだけどね!

 まずは目の前にあるConsolate教会。古代ローマ帝国の遺跡も残っている。そこから、セントラルに向かって歩いていると、おそらく古代ローマ帝国の遺跡と思われる門を発見した。でも、あまりにも綺麗に残っているので、もう少し後の時代のものかもしれない。その後、すぐ近くにあるDoomoへ。礼拝堂のようである。
 ついに、世界遺産エリアへと向かう。ちなみに、明日もトリノに滞在できることになったので、評価はその時にまとめてすることにする。最初に向かったのはPalazzo Reale。いわゆる、王宮(王様の宮殿)。ただし、トリノには宮殿がたくさんあるので、そのあたりはややこしい。
 入場料は10EURと予想以上に高額だったけれど、せっかくなので入場することにした。いやいや、ヨーロッパの宮殿には驚かされることが多かったけれど、トリノの宮殿も負けちゃいないですよ!
 まあ、美しい。そして、絵画もたくさん飾ってある。更に、他の宮殿にはない特徴として、甲冑や剣や銃なんかが展示してある部屋があるのだ。この武器たちが、まあ美しい。これはもう、工芸品、芸術作品ですね。
 この旅では、ほとんど博物館や美術館に入館していない。嫌いではないのだけれど、入場料の問題なんかがあって我慢している。しかし、ヨーロッパでは、こうした欲求は比較的満たされている。もちろん、他地域に比べて高い入場料を払っているわけではない。宮殿や教会といった世界遺産を訪れると、建物自体が博物館のようだし、内部の装飾や絵画が美術館のようなのだ。

 ちなみに、この宮殿はサヴォイア家のものである。日本人には、あまり馴染みのない王家かもしれない。もともとは、11世紀初頭にサヴォイア地域に所領を獲得した。北はレマン湖、東と南はアルプス山脈、東はローヌ川に囲まれた場所であった。
 そう、今の国でいえば大部分はフランス領となる地域である。最初の宮殿があった場所も、現在のフランス領シャンベリという街である。ちなみに、現在、この街はサヴォワ(サヴォイアのフランス語読み)県の県庁所在地となっている。
 このサヴォイア家、順調に発展していき、1416年にはサヴォイア公国となる。この頃には、所領も増え、現在のスイス・イタリアにもまたがることとなる。1563年には、宮殿がトリノに移された。
 1701年から始まったスペイン継承戦争では、サヴォイア家は当初フランスと同盟関係にあった。しかし、オーストリア側に寝返る。こうした経緯から、トリノをフランス軍に包囲される。しかし、最終的には持ちこたえ勝利を手にすることができた。なお、この戦いで、イタリアからフランス勢力が一掃されることとなった。
 1720年、スペイン継承戦争で獲得したシチリア島を手放し、オーストリア領であったサルディーニャ島を所領とする。これより、国名をサルディーニャ王国に変更。

 1789年にフランス革命が勃発すると、1792年より反革命を標榜する各国が同盟しフランスとの戦争状態となる。サルディーニャ王国は、当然に反革命の同盟国に加わった。
 この戦いはフランスの勝利で終焉することとなり、サルディーニャ王国は多くの領地を失うこととなる。なお、この時イタリア戦線で活躍したのが、ナポレオン・ボナパルトである。その後のナポレオン戦争でもサルディーニャ王国は対仏大同盟側につくことになる。
 ナポレオン戦争は、最終的にはフランスの敗北で終結する。1815年に終了したウィーン会議の結果、サルディーニャ王国は失地を回復し、ジェノヴァ共和国を併合した。
 1848年、フランスで二月革命が勃発。これ以降、他のヨーロッパ諸国と同様に、イタリアでもウィーン体制は崩壊していくこととなる。ウィーン会議の結果、オーストリア帝国の衛星国として成立したロンバルド=ヴェネト王国では、反オーストリアの蜂起が勃発。ロンバルディア臨時政府とヴェネツィア臨時政府が樹立された。なお、ロンバルディア地方とはミラノを中心とする地域であり、ヴェネツィア地方とはヴェネツィアを中心とする地域である。
 サルディーニャ王国もオーストリア帝国に対して宣戦布告。この戦いは、第一次イタリア統一戦争とも呼ばれる。しかし、サルディーニャ王国は敗退することになり、オーストリア帝国によって両臨時政府は解散させられる。

 小国に分裂していたドイツ地域同様、イタリアも地また小国が分裂していた。ドイツがプロイセン王国を中心として統一されていったように、イタリアではサルディーニャ王国を中心としてイタリアを統一すべきであるという考えが強くなっていく。
 しかし、“統一イタリア”を実現させるためには、大国との同盟と、オーストリア帝国の衛星国であったロンバルド=ヴェネト王国の併合が望ましかった。特に、ロンバルド=ヴェネト王国は経済的に豊かな地であったために、統一イタリアにとっては必要不可欠な地と考えられた。
 こうした状況の中、1853年、バルカン半島でロシア帝国とオスマン帝国の間で戦闘が始まる。これが、クリミア戦争である。翌年には、イギリスとフランスがオスマン帝国側として参戦。戦争は大規模なものへと発展した。
 この戦争の終結のきっかけの1つをつくったのが、サルディーニャ王国であった。オスマン帝国側で参戦したサルディーニャ王国が派遣した軍隊の功績で、ロシア帝国の要衝だったセヴァストポリが陥落。なお、この直後にオスマン帝国の要衝地も陥落しており、クリミア戦争は“勝者のない戦争”ともいわれる。

 1856年、クリミア戦争の講和会議が開かれパリ条約が締結された。参戦国だったサルディーニャ王国も締結国であった。外交で手腕を発揮できなかったオーストリア帝国にたいして、この会議でサルディーニャ王国は巧みな外交戦術を駆使する。こうして、イタリア統一の下地は整えられることとなった。
 1858年、フランスとの間にブロンビエールの密約を結ぶ。この約束は、対オーストリア帝国との戦争の際、フランスがサルディーニャ王国側について戦うというものであった。加えて、見返りとして、フランスにサヴォイアとニースの両地域を割譲することが決められていた。
 1859年、サルディーニャ王国はオーストリア帝国との戦闘を開始する。フランス軍の参戦もあり、サルディーニャ王国はロンバルディアの奪還に成功。しかし、イタリアに強国ができるのを嫌ったフランスは、ヴェネツィア地域を残したまま単独でオーストリアと講和。こうしたフランスの行為は協定違反であるとして、サヴォイアとニースの割譲を取り下げられることとなった。
 このフランスの“裏切り”ともいえる行為は、イタリア統一の機運を高めることになる。中部イタリアのパルマ公国(ブルボン家)・モデナ公国(ハプスブルク家)・トスカーナ大公国(ハプスブルク家)が、住民投票によってサルディーニャ王国への併合を選択。また、サルディーニャ王国は、教皇領であったレガツィオーネ地区を占領した。これらの地域のイタリア領有を認める見返りとして、サヴォイアとニースがフランスに割譲された。
 1860年、ジュゼッペ・ガリバルディ率いる義勇軍が、両シチリア王国を滅ぼす。なお、両シチリア王国とは、ナポリ王国とシチリア王国が合併してできた国で、スペインブルボン家の衛星国となっていた。その後、ガリバルディは征服した土地をサルディーニャ王国のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上する。
 1861年、イタリア王国が成立。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がそのままイタリア国王となり、首都はフィレンツェへと移された。こうして、統一イタリアが誕生したのである。

 予想以上に長くなったサヴォイア家の紹介…。さて、旅日記。王宮を後にして、すぐ近くにPalazzo Madama(マダマ宮殿)へ。入場料を確認すると10EUR…高すぎでしょ〜。限界を感じたので、外観とフリー・ゾーンだけの観光とすることに。ちなみに、この宮殿、正面から見るとヨーロッパの各地にありそうな宮殿そのもの。ただし、後ろから見ると城塞となっている。不思議なつくりである。
 続いて訪れたのは、Palazzo Carignano(カリニャーノ宮殿)。ここの入場料も10EUR。よって、外観とフリー・ゾーンだけ。ただ、ここは中庭に入ることができた。ここの中庭から見た外観は、個人的にはなかなかのものだと思った。

 ここから、アルプスを眺めるために街の東にある丘へと向かう。途中でポー河を渡り、丘の上をめざす。昼を過ぎていたからか、空気が少し汚れていて霞んでいたのが残念だった。でも、今まではっきり見ることができなかったアルプスの姿をしっかりと見ることができた。
 観光用看板によると、この近くにも世界遺産があるらしいので訪れることとする。Villa della Reginaには、問題なく到着。ちょうど、団体さんが帰るところらしい。そのせいなのか、閉館間際だったからなのか、日常のことなのか、よく分からないけれど、無料で入ることができた。ここも、なかなかに美しかった。ただし、王宮よりは格段に劣るのも事実。ちなみに、後でニコロさんから「えっ?オープンしてたの?」と言われたので、レア体験だったのかもしれない。ラッキー!?

 これにて、この日のトリノ観光は終了。なかなかに充実した1日となったなあ。トリノの街は、ホントに美しい。うん、イイ街だ!
 ニコロさん宅に戻って、日記を少々書いて、夕食をご馳走になって、ブルースのライブを聞きながらビールを飲んで、寝た。
 

 
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