



ノイシュバンシュタイン城
雪景色の中に
ひっそりとたたずむ姿は
己を建ててくれた
中世に憧れる
1人の王の悲しい末路を
悲しんでいるようでもある

ホーエンシュヴァンガウ城
ルードヴィッヒ2世の
父親である
マクシミリアン2世が改築 |
雪は深々と降り続け、朝起きると完全に雪国だった…。この辺りは、冬季オリンピックが開催されるような場所。ということは、日本でいえば札幌や長野と同じ感覚と考えればいい。なるほど、冬には雪が降る場所ですね〜。 この日は、同じ部屋のフランス人と中国人と一緒に3人で、ノイシュバンシュタイン城へと向かう。この城、世界遺産でもないのだけれど、あまりにも有名な城。なので、珍しく観光することにしたのだ。
ノイシュバンシュタイン城は、バイエルン王:ルードヴィッヒ2世の命によってつくられた。建設開始は1869年。日本では戊辰戦争が終結した年であり、エジプトではスエズ運河が開通した年である。つまり、中世ではないのである。ルードヴィッヒ2世は、中世騎士道への憧れが強く、その憧れを“城づくり”という形で具現化したのだ。 しかし、当時のドイツ地域をとりまく状況は、そんな道楽がまかり通る時代ではなかった。小国が分裂していたドイツ地域。“統一ドイツ”をつくらなければならないのは一致していた。しかし、すでに大帝国であったオーストリアをドイツに含めるのかという問題があった。 オーストリアを含まない「小ドイツ主義」の旗手であったプロイセン王国を中心とする勢力と、オーストリア帝国を中心とする勢力が戦った普墺戦争。バイエルン王国はオーストリア帝国側についた。1866年に始まりった戦争は、プロイセン王国側の圧倒的勝利で早急に幕を閉じたのであった。こうして、バイエルン王国は敗戦国となったのである。
バイエルン王国は、プロイセン王国に賠償金を支払わなければならなくなった。このような状況にもかかわらず、ルードヴィッヒ2世の築城熱は覚めることなく、ノイシュバンシュタイン城以外にも複数の築城を命じていた。 結果、ルードヴィッヒ2世はクーデター(と思われるものの真相は今も謎…)により失脚。幽閉された翌日、謎の死を遂げることとなった。憧れのノイシュバンシュタイン城に住むことができたのは102日間だったと言われている。 ちなみに、この後、バイエルン王国は、プロイセン王国が主となり建国されたドイツ帝国の構成国となる。割り当てられた議席は、プロイセン王国に次いで2番目であったものの、プロイセン王国が17議席であったのに対し、バイエルン王国は6議席であった。そして、第一次世界大戦末期、1918年11月7日から始まったバイエルン革命によって、バイエルン王国は消滅することになる。
さて、ノイシュバンシュタイン城。中世の城ではないので、まだまだ新しい感じがする。バスは、フュッセンの街から10分弱で麓の街に到着した。街といっても観光のためだけに存在する街。 ここから、40分ほど坂道を登って行く。内部はガイドと一緒にまわるスタイル。王の憧れを具現化した城だけあって、かなり豪華で見応えのある城であった。 オリエント伯爵は、日本語対応の音声ガイドツアーを選択した。しかし、フランス人も中国人も英語でのガイドツアーを選択していた。音声ガイドには、フランス語も中国語もあるのにね!こうした向学心のなさが、オリエント伯爵の英語力の上達を阻んでいるのだろう…。でも、せっかくの観光なんだから、日本語の方がいいじゃんね!!! 2人は、この後、近くの橋からの有名な景色を見に行くという。近道は、冬だからなのか、工事中なのか、通行止め。グルッと遠回りをしなければ行くことはできない。オリエント伯爵、1秒もしないで同行を断念。だって、寒いんだもん…。 こうして、2人と別れて、バスでフュッセンの街へと戻ってきた。歩いてもよかったんだけど、これまた寒さには勝てずにバスをセレクト。う〜ん、寒いと費用も嵩むことがあるんだね(笑)!
宿に戻って、日記を書いて、旅に関わる諸作業。とりあえず、イタリアにINするまでは、日程とルートが確定した。この日の夜は、ゆったりと過ごす。 それにしても寒い…。本格的なヨーロッパの冬を体験中といったところですね!早く暖かくならないかな〜無理か…!!! |