





アウシュヴィッツ





ビルケナウ

たった1本の針金
その細い線が隔てる
深い溝
ここは狂気が支配した地
そして
忘れてはならない地 |
*アウシュヴィッツ(Auschwitz)として知られるナチス・ドイツの強制収容所。
現在、その所在地はオシフィエンチムという街に含まれている。
今日は、アウシュヴィッツに向かう。オリエント伯爵基準ではないものの世界遺産である。名称を「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所」という。ただし、世界遺産に正式な日本語名はない。
当初の名称は「アウシュヴィッツ強制収容所」であった。しかし、ポーランドが強制収容所をつくったとの誤解を与えかねないとするポーランド政府の強い要請があり、現在の名称に変更されたという経緯がある。この一件だけをみても、この地がデリケートな存在であることが分かるかと思う。
ちなみに、この地に強制収容所は3ヶ所つくられている。「アウシュヴィッツ」、「ビルケナウ」、「モノビッツ」である。これらはすべてドイツ語に基づく表記である。ポーランド語にすると、それぞれ、「オシフィエンチム」、「ブジェジンカ」、「モノビツェ」となる。このなかで、世界遺産になっているとともに、ミュージアム(個人的にはこう呼ぶことに抵抗がある…)となっているは、「アウシュヴィッツ」と「ビルケナウ」である。
なお、本サイトでは、ナチス・ドイツがつくった施設であることを鑑み、ドイツ語に基づく呼称を使用する。
レセプションで行き方を確認。バスTへ向かう。ラッキーなことに、バスに乗り込むと同時に出発。約2時間後、バスはアウシュヴィッツに到着した。
バスを降りると、すでに異様な空気が支配している。訪れたのが冬というのも良かったのかもしれない。この地を訪れるのは、光り輝く太陽の下よりも、陰鬱な雪降る空の下の方が似合っているような気がする。
「人間の狂気」。その恐ろしさを考えさせてくれるのに、こんなにふさわしい場所はない。この地を訪れて、何を考えるのかは人それぞれであろう。ただ、何かを考えざるをえない場所であるのは確かである。
どんな表現を使おうとも、オリエント伯爵がこの地で考えたことを適切に伝えることは難しい。よって、記述することは控えさせていただくことにする。ただ、ぜひ、1度でいいので、この地を訪れてほしいと思う。そして、あなたなりに、何かを考えてほしい…。
アウシュヴィッツの訪問を終える。次に、ビルケナウへ向かうこととする。シャトルバスは出発したばかり。時間を調べていなかったオリエント伯爵のミスである。
ビルケナウまでの距離を聞いてみると3キロとのこと。それなら、歩いていける。歩き始めてすぐ、2.2キロの表示…。このあたりの適当さにも慣れてきた。空は、いっそう暗くなり、まだ13時半すぎだというのに夕暮れのようだ。ビルケナウまでは、なんの問題もなく到着。
ビルケナウに到着して、だれもが驚くだろう。なんという広さなのだろうか…。これだけ広大な土地を必要としたということは、それだけ多数の人員を収容していたということだ。
見渡す限りに広がる強制収容所の敷地。そのすべてを一望することは不可能であるほどに広い。また、アウシュヴィッツに比べても、施設の貧弱さは目を覆うばかりである。冬に訪れ、冬を過ごすことの過酷さを身をもって感じることができた。
ここは、大規模に、ガスによって殺人が行われた地である。様々な事情により、当時の施設は破壊されている。しかし、復元図を頼りに頭の中で廃墟から当時の姿を想像することは容易である。オリエント伯爵の頭の中では、それは、まさに“殺人施設”というにふさわしい姿をしていた。
広大な敷地の外れまで歩いて行く。ここまで訪れる人は、オリエント伯爵の他は皆無だった。薄暗い林の中、雪を踏みしめる己の靴音のみが「生」を感じさせる。恐ろしまでの静寂。そこにいるだけで、理由なき恐怖を感じた。
敷地中心部のモニュメントのある場所まで戻ってくる。イスラエルから来たと思われる団体がイベントを行なっていた。彼らは、オリエント伯爵とは違った思いを抱いていることだろう。それが多様な価値観の表れであるとともに、争いの根源であることも事実なのだ。
集団の価値観が1つならば、集団内での争いは発生しない。複数の価値観が存在することで、それらが衝突し争いが発生する。しかし、自由な価値観が大切な概念であることは、世界を見渡してみれば容易に理解することができる。なんという皮肉…。
ナチス・ドイツの強制収容所は、この地だけのものではない。多数の強制収容所もまた、同じような狂気が支配する地であったことは、連合国軍がナチス・ドイツの強制収容所を「解放」したときの記録を見れば明らかである。
しかし、忘れてはならないことがある。強制収容所は、ナチス・ドイツのみが設置した施設ではないのだ。強制収容所を“発明”したのは、イギリスだと言われている。南アフリカを舞台として、1899年からイギリスとオランダ系住民が戦った第2次ボーア戦争の最中、オランダ系住民であるボーア人(アフリカーナ)を強制収容したのだ。
最も殺人を犯した強制収容所は中国の「労働改造所」と言われている。文化大革命の時期に特化して取り上げられることが多いけれど、実際には最近(2001年)まで強制収容所として“立派”に機能していた。現在、法的には強制収容所は消滅したことになっている。
現在も盛んに活動しているとされるのが北朝鮮の強制収容所である。その実態は明らかになっていないものの、恐ろしいことが現在進行形で行われていることは容易に想像できる。世界中の人が、一刻も早い「解放」を望んでいるはずなのに、どの国も手を出そうとはしない。こうしたことから、人道主義などという言葉は、現在の国際社会では無力であることが分かる…悲しいけれど…。
また、強制収容所を最も利用したとされているのはソビエトである。日本では「ラーゲリ」と呼ばれることも多い。アウシュヴィッツやビルケナウを「解放」したのがソビエト軍だという事実は、歴史の皮肉としか思えない。ソビエトの強制収容所は、シベリア抑留の問題とからんで、日本人ならば看過できない施設といえる。
同じように、日本人として看過できないのは、アメリカ合衆国に存在した強制収容所である。黄色人種への偏見や日本軍への恐怖が、マイナスの相乗効果となって、数多くの悲劇を生んだことを忘れてはならないと思う。また、カナダ、ブラジル、メキシコといった国にも、日系人を標的にした強制収容所が存在したことも覚えておく必要がある。
ビルケナウからアウシュヴィッツまでは、シャトルバスを利用する。最終バスなのに、定刻よりも早く出発。このあたりのポーランド人の感覚は、オリエント伯爵には理解できない。
帰りは同じルートをたどるだけなので、無事に宿に戻る。前夜の困ったポーランド人はいなくなっていた。よかった〜。落ち着いた気持ちで眠りにつく。すると、26:00に、いきなり部屋が明るくなる。新たなゲストがやってきて明かりをつけたのだ…。
しかも、なかなか明かりを消さない。さすがに穏やかな(?)オリエント伯爵も頭にきた。「もう、夜中の2時やで〜。準備終わったら、はよ電気消してや〜」と言ってみた。すると、「でも、オレは今着いたとこなんだよ」との言い訳が返ってきた。そんなことは分かっとるわい!ダラダラ片付けんと、さっさと終わらして電気消さんかいということや!どうも、この宿のゲストとは相性が合わないようである…。 |