
Parcul Catedralei

今日も悪天候
この季節の日常なのか
空が重たい
気持ちまで重たくなる |
昨日の夜は、いろいろと大変だった…。宿のオバちゃんには、学校に入学したばかりの息子がいる。息子が学校から帰ってくると、とりあえず宿題。まあ、このような景色は、どこの国でも見ることができるだろう。しかし、宿題の量が多いのか、息子の能力の問題(“飛び級”で入学しているようだ)なのか、何時間かかっても終わらない。当然に、息子の集中力は続かいない。すると、ママとしては怒ることになる。結果としては、息子は泣くことになり、集中力の回復は望めない…。 てなことでドタバタだと思っていたら、宿のオバちゃん、泣きながら誰かに電話している。おいおい痴話喧嘩かよ〜と思っていたら、体調が悪くなったようだ。いきなりですか!!!電話相手だろう、男友達がやってきて、2人の会話に「ジャパニーズ」とか聞こえるし、「なにか、わたし、しましたか???」。 もう、よく分からないままに、眠りにつくことにする。しかし、オリエント伯爵の本日のベッドはキッチン。落ち着いて眠れるはずもない。身に覚えのないことで、なんか悪者っぽくなってるし、「こりゃ、明日は宿を変えよう」と心の中で思っていたオリエント伯爵だった。
翌朝、ちょいとばかり回復した宿のオバちゃんに聞いてみた。どうやら、オリエント伯爵には、なんの問題もなかったようだ。手を握られて「何も、ないわよ。わたしが具合が悪かっただけよ。」とか言われた。 オバちゃんといっても、まだまだ若い娘やし、なにより美しい娘なんだよね〜!「そうだったのね!」と、すぐさま復活するオリエント伯爵だった。はぁ〜単純だなあ…。 オバちゃんが親切なのは間違いなく、次の目的地までの移動方法を別の宿泊者と話していると、オバちゃんがいろいろと教えてくれた。こちらから聞いてないのに、向こうから能動的に教えてくれるなんて、なかなかないことである。ちなみに、日本ではあたりまえだったことを、あたりまえとは思っていなくなっていることも実感した(笑)!!!
オバちゃんに教えてもらったとおり、セントラル・バスTに行ってみることにする。次の目的地までの移動にかんする情報収集は完璧に終了した…たぶん。明日に行きたいところのリサーチもしておいた。もちろん、こちらの方も完璧…たぶん。 この日は、今まで買ってあったもので、晩飯を済ませることに成功。モルドバは物価が安いと聞いていた(ネット情報)けれど、それほど安いとは思わない。お金を使わないことに越したことはないと思える国である。もちろん、前の国がどこなのかで、物価の印象はガラリと変わるのだけれど…。なお、煙草は断然安い。
このモルドバという国、ソビエトを構成していた15の共和国の1つである。ソビエトの共和国といえば、“わけあり”なのが世界の常識。なかでも、この国は特異な道を歩んできたといえる。 国旗を見ると分かるように、モルドバはルーマニア系の国である。もう少し突っ込んでいうと、歴史的にはルーマニアの一部であったといえる地域なのだ。 ルーマニアの英語表記は"Romania"である。カタカナでは見えなかったことが、英語表記にした途端に見えてくる。"Roma"と書かれているように、この国の起源は古代ローマ帝国にまで遡るのだ。古代ローマ帝国の崩壊後は、様々な民族がこの地を支配することとなる。 そして、中世になると、南部にはワラキア公国、北東部にはモルダヴィア公国、北西部にはトランシルヴァニア公国が成立する。しかし、国としての勢力は強いものではなく、オスマン帝国やハプスブルグ家やハンガリー王国の影響下にあったようである。
そうなんです。モルドバの国名は、モルダヴィア公国から受け継いだということができるんです。では、なぜ、ソビエトの構成共和国だったのか。3公国の勢力は、けっして強いものとはいえなかったのは書いたとおり。この地を狙っていたのは、先に挙げた3ヶ国だけではなかったのだ。 現在のモルドバの地は、18世紀の始めにはロシア領となる。その後は、ルーマニアとロシアの間を、行ったり来たりするけれど、ロシアであった時期が長かったのは事実。ロシアがぶんどったルーマニアの土地といったところ。ちなみに、争奪戦の最後は、第二次世界大戦のときにソビエトがぶんどった。 こういった歴史的経緯が、新たな悲劇を生む。これは、ソビエトに関わった国の宿命ともいえる。それはまた、別の話…。 |