世界旅HOME   南アジア   イラン   2012年10月  
 
バンダレ・アッバース バンダレ・アッバース バンダレ・アッバース
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これがホルムズ海峡だ

沖には
ホルムズ島が浮かぶ

もちろん
タンカーが行き交う姿を
見ることもできた



このビール
ウェルカム・ビールとして
飲んだもの

ソフィーさんの御主人に
ご馳走になったのだ

イラン最後の地で
再会することとなった

もちろん
ノンアルコール・ビール

でも
他国と比べると
かなり美味い

イラン人
ホントは
アルコール飲料
大好きなようである(笑)
 朝起きて、シャワーを浴びて、インターネット接続を試みるために街に出る。ネットができる場所は、昨日に確認済みである。船便が遅れたために、CouchSurfingのホストの方に連絡を取らなければならないのだ。「まぁ、いっか!」とならないのは、日本人気質なのかオリエント伯爵気質なのか…。
 インターネット接続は、想像していたよりも快適。中央アジアと比べると、サクサクとつながる。しかし、イランはインターネット規制が強い国として知られる。Facebookはもとより、グーグル・ジャパンやヤフー・ジャパンのトップページすら開くことはできない。
 もちろん、規制があれば、それをかいくぐる方法もあるのが現実世界の興味深さ。その1つが「フリー・ゲート」と呼ばれるソフトの存在である。ところが、オリエント伯爵の使っているフリー・ゲートでは、ヤフー・ジャパンのログインページが開かないのだ。オリエント伯爵は、ヤフー・メールを使っている。ということは、イランでは、メールの送受信ができないということになるのだ!!!
 メールの送受信はできなかったものの、CouchSurfingを使ってホストの方に連絡を送ることには成功した。HPのアップにも成功。ここまでできれば、「御の字」というやつかな?

 せっかくなので、バンダレ・アッバースの街を少しだけ歩くことにする。この街、イランでも“暑い街”として知られている。海に面している都市なので、標高が低く、湿度が高いのだ。
 実際に、歩いてみると、確かに暑い…。今まで訪れたイランの街とは違う暑さである。蒸し暑い。そう、日本の暑さに似ているのだ。10月にしてこの暑さ。夏の盛りは、相当に暑いに違いない…。

 さて、悠久のイラン史の第4弾。前回は、15世紀初頭、イランの地が再び分裂を始めたところまで。ちなみに、イラン史シリーズは、今回が最終回。
 イランの北西部のアゼルバイジャン地方(現アゼルバイジャン共和国とは別の地域)に、グズルバシュ(キズィルバーシュ・赤い頭)と呼ばれるトルコマーン系遊牧民を武力背景とした、イスラム教シーア派を信奉する勢力があった。この勢力は、サファヴィー朝を成立させる。
 15世紀末の1494年、サファヴィー朝のトップの座に、戦死した兄の後を継いでイスマーイール1世が就く。16世紀となった1501年、カラ・コユンルー朝を破りアゼルバイジャン地方を手中に収める。1508年、アク・コユンルー朝も破り、メソポタミアも版図に加える。1510年、分裂していたティムール朝を滅ぼしたシャイバーニー朝をマルブ会戦にて撃退。瞬く間に、イランの地を統一することに成功した。
 サファヴィー朝の勢力拡大は西方のオスマン帝国の注目を惹くこととなり、1514年、チャルディラーン会戦が起こり、サファヴィー朝は惨敗。しかし、この惨敗によって、宗教的熱狂に裏付けられていたサファヴィー朝は、一般的な国家としての体制を整えていくことになる。

 1524年、イスマーイール1世が死去。跡を継いだ、タフマースブ1世は、グズルバシュの勢力均衡、グルジア系の登用を進め、オスマン帝国やシャイバーニー朝に侵攻されながらも耐えぬくことに成功。
 1587年、アッバース1世が即位。彼は、カフカス奴隷からなるグラーム騎兵軍団、各部族から引き抜いて編成されたコルチ騎兵軍団、ペルシア系住民によって編成された鉄砲隊を新設。これらの兵を常備直轄兵とした。これによって、武力はグズルバシュに頼りっきりという構図を解消した。更に、王領地の増加と直轄化によって財政的裏付けも確保した。
 こうして、サファヴィー朝の体制を一新したアッバース1世は、オスマン帝国からバグダッドを、シャイバーニー朝からホラーサーン地方を奪回することに成功。1598年、首都をエスファハーンへと移した。なお、世界遺産となっているイマーム広場は、この頃につくられたものである。

 この時代、貨幣経済が飛躍的に進歩する。インドがムガル帝国の下で安定し、ヨーロッパが大航海時代に突入。街道・港湾の整備や治安維持によって交易条件を整え、サファヴィー朝は大きな利益を手中に収めることに成功した。
 イランが本格的にイスラム教シーア派の国家として発展し、文化的にも足跡を残す。ヨーロッパ各国から、エスファハーンは「世界の半分」と謳われるようになった。こうした繁栄の中、1629年、アッバース1世は死去する。
 その後もサファヴィー朝は安定し、1639年には、ガスレ・シーリーン条約によってオスマン帝国との国境線が確定。しかし、徐々に政情は不安定となっていく。1722年、アフガン民族によって、エスファハーンは陥落し、統一政権としてのサファヴィー朝は壊滅した。こうして、イランの地は、ヨーロッパ列強の“草刈り場”となっていくのである。

 で、旅日記。宿に戻って、ひと休み。晩飯は、初日同様、近くのナン屋でナンを買って、近くの商店で蜂蜜とチーズを買って食べる。ようやく、明日、次の目的国に移動である。
 

 
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