世界旅HOME   南アジア   イラン   2012年10月  
 
シーラーズ…[車内]
→バンダレ・アッバース
バンダレ・アッバース バンダレ・アッバース
 

 
   朝起きて、シャワーを浴びて、さあ、両替に向かおう。地元の人も憐れむくらいに、手持ちのIRRは少ないのだ。とは言っても、どんな国に行っても、旅人(オリエント伯爵限定かも?)は現地の人(一般的な)よりも貧乏な生活をしているのだけれどね!
 今日は土曜日なので、銀行はオープンしている。ちなみに、イスラムの国でも、週休二日制となっている国も多い。その場合、イランでは木曜日も休みとなる。でも、土曜日の職場もある。モルディブでは、金曜日と土曜日が休みだった。マレーシアなんかでは、土曜日と日曜日が休みだった。同じイスラムの国でも、国によっていろいろなのだ。

 兎にも角にも、銀行はオープンしている。めでたく、両替終了…とはならなかったのだ…。なんと、銀行なのに両替をしていない。ここ、バンダレ・アッバースでは、ほとんどの銀行が両替をしていない。で、どこの銀行ならしているのかを聞いて、その銀行へと向かうことに。
 ついに目当ての銀行を見つけ、両替をしたいと伝える。すると、この銀行でもしているけれど、レートが無茶苦茶に悪いから両替所に行った方がいいよと教えてくれる。更に、外まで出て、場所を教えてくれた。なんと親切な方であろう!!!
 ついに、ついに、目当ての両替所を見つけ、両替をしたいと伝える。すると、両替はしていないとのこと。えっと〜、ここは両替所ですよねえ〜。それなのに、両替しないの???これは、弁当屋なのに弁当を売っていないとか、大工なのに家建てないとかと一緒だよね…。ヨドバシカメラだってビックカメラだって、メインではないもののカメラを売ってるのに…。
 どうやら、最近のレート変動の激しさから、両替を見合わせているらしい。これは、ソフィーさんやソフィーさんの弟さんからも聞いていた話である。とは言うものの、違和感は拭えない。だって、ここは両替所でしょ???
 あきらめずに、他には両替所がないかを聞いてみる。ちょっと渋っていたものの、最終的には教えてくれた。渋るなら、ここで両替すればいいでしょ!
 ついに、ついに、ついに、目当ての両替所を見つけ、両替をしたいと伝える。すると、レートはないと言われる。「いいかげんにしろ!」と言いたいのを我慢して、英語が通じていない振りをしながら粘り強く聞くことにする。やっと、レートを弾き出してくれ両替に成功。レートの変動が激しいので、得なのか損なのかは良く分からない…。

 IRRを入手することができたので、船のチケットを購入するためにオフィスに向かう。すっかり、顔馴染み(笑)!!!めでたく、チケットの購入に成功。と同時に、月曜日までバンダレ・アッバースに滞在することも決定。
 宿に戻ると、なんと、日本人の方と出会う。彼のミッションは、両替と船のチケットを購入すること。んっ…オリエント伯爵の今までのミッションと一緒やん!!!
 というわけで、一度辿った道を、もう一度。無事に、ミッションは達成されたようである。まあ、同じ道なので当然でしょう…。しかし、同じようでも同じにならないのが世界の興味深さ(笑)!!!
 話を聞いてみると、宿代は彼の方が安いようである。よくある話。でもって、船のチケットを購入したオフィスでは、オリエント伯爵は無料でパスポートのコピーをしてくれた(わざわざオフィスの外まで行ってくれた)けれど、彼は「自分でやって」と言われたそうである。こちらも、よくある話。

 さて、悠久のイラン史の第3弾。前回は、11世紀、テュルク系のセルジューク王朝が成立したところまで。
 セルジューク朝は遊牧民特有の分割相続のしきたりもあり、分割されていく。イランの地は、宗家である大セルジューク朝が治めることとなった。各セルジューク朝内の内紛と、各セルジューク朝間の争いのために、セルジューク朝としての統一は薄れ、勢力も衰えていく。しかし、テュルク系住民の流入は続き、アナトリア(現:トルコ)のテュルク化はこの頃のこととされている。
 12世紀半ば、大セルジューク朝の勢力は衰えを増していき、12世紀末には、イランの地は、アラル海南東に起源をもつホラムズ・シャー朝が支配するようになる。
 しかし、13世紀初頭、モンゴル帝国のチンギス・ハーンが襲来。チンギス・ハーンの死後もモンゴル帝国の侵攻は続き、アムダリア川からエジプトの境までが1つの行政区となる(この時期はエジプトの境まで統治はしていない)。
 ついに、モンゴル帝国は本格的な遠征軍の派遣を決定。しかし、シリア方面まで進行した際、第4代皇帝のモンケが死去。その後の相続争いを期に遠征軍を指揮するフレグは独立し、13世紀半ばには、イルハン朝が成立する。

 イルハン朝においても、セルジューク朝と同様に、行政を司るのはペルシア人であった。また、モンゴル人とテュルク化の同化、政権のイスラム化も進んだ。
 元王朝による政治的安定を背景に、経済は活性化し、文化的にも繁栄の時を迎える。また、イルハン朝の強力な中央集権体制は、中心部と地方を結びつけることとなり、経済・文化の発展は、更に促されることとなった。
 しかし、14世紀半ばになると、外圧と内紛によって、イルハン朝の勢力も衰えていく。ついに中央集権体制は瓦解し、各地の諸族が独立していく。こうして、イランの地は再び群雄割拠の時代となる。

 14世紀末、この混乱を一気に終息させたのが、本拠地をサマルカンド(現:ウズベキスタン)にもつ、テュルク化したモンゴル人のティムールである。ここに、ティムール朝が成立する。しかし、15世紀初頭、ティムールは死去。再び、イランの地は分裂を始めることとなる。
 ヘラート(現:アフガニスタン)にはティムール朝、アナトリア東部(現:トルコ&イラン)にはカラ・コユンルー朝、メソポタミア(現:イラン)にはアク・コユンルー朝が成立した。その後、ティムール朝は、サマルカンド政権とヘラート政権に分立する。なお、サマルカンド政権の末裔が建てたのがインドのムガル帝国である。

 で、旅日記。同じ宿に泊まる日本人の方と夕食。オリエント伯爵は、定番となったケバブ&ライスを食する。この方、イランの食事はイマイチと言っていた。う〜ん、西から来るとそう思うのかな?まあ、オリエント伯爵にとっては、とっても満足できるイラン・フードなので、問題はなし!!!
 宿に戻って、2人で少しだけ話をする。アルコール飲料が入手できない(難しい?)ので、宴にならないのが残念だね〜。
 

 
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