世界旅HOME   南アジア   イラン   2012年10月  
 
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バンダレ・アッバース
 

 
   バスは6:30頃にバスTに到着。もうちょっと、遅れても良かったんだけどね〜。まあ、「長距離バスの法則」がはたらくので、こればっかりは仕方のないこと(笑)!!!それにしても、爆睡したなあ〜。
 街までタクシーで移動。ここから、苦手な宿探しである。それにしても、バンダレ・アッバースの街、静かである。そりゃ、早朝だよ。そりゃ、金曜日だよ(イスラムでは金曜日が休日)。でも、今までのイランの街から比べると、とっても静かだと思うなあ〜。というわけで、とりあえず好印象!
 ガイドブックによると、バンダレ・アッバースの宿は、高いし満室のことも多いとあった。探すまえから、ハードルが上がっている。でも、街の規模が小さいこともあって、宿探しがしやすいのも事実。
 オン・シーズンではないこともあって、宿は比較的早く見つかった。とりたてて安くはないけれど、表示されている価格よりは安かった。ちなみに、これもペルシア数字が読めるようになったから。加えて、もちろん、値引き交渉したことは当然!!!チェック・イン終了!

 さて、悠久のイラン史の第2弾。前回は、3世紀、ペルシア人によって、サーサーン朝が成立したところまで。
 強大な勢力を誇ったサーサーン朝も7世紀には弱体化していく。7世紀半ばには、アラブ人によってサーサーン朝は滅ぼされる。イランのイスラム化の始まりである。イスラム勢力はウマイヤ朝を成立させる。8世紀半ばには、ウマイヤ朝に代わってアッバース朝が成立。指導者がイラン系マワーリー(降伏したサーサーン朝残党)だったことや、首都がダマスカスからバグダッドに移されたこともあり、ペルシア人が重きをなすようになる。
 9世紀には、アッバース朝の下であるものの、ターヒル朝・サッファール朝・サーマーン朝というイラン系の王朝が成立する。なお、サーマーン朝の首都はブハラ(現:ウズベキスタン)である。その後、ターヒル朝はサッファール朝に滅ぼされ、サッファール朝はサーマーン朝に滅ぼされた。この時期は、ペルシア文芸復興期と呼ばれ、近世ペルシア語が確立したのもこの時代である。

 10世紀になると、カスピ海沿岸にブワイフ朝が成立し、イラン高原まで勢力を拡大する。エジプトのファーティマ朝とともに、イスラム教シーア派の王朝の誕生である。これらの王朝を、イスラム教スンニ派のアッバース朝が認めざるをえない事態となったことで、アッバース朝の権威は地に落ちることとなる。同じ頃、テュルク系のカラハン朝とガズナ朝が勢力を拡大し、サーマーン朝は滅ぼされる。
 こうして、カラハン朝・ガズナ朝・ブワイフ朝の3王朝が鼎立することとなった。この中で、勢力を伸ばしたのはガズナ朝であり、イラン西部から北インドまで遠征を行った。なお、この時、インドのイスラム化が始まったとされる。しかし、11世紀になるとガズナ朝も衰退していくことになる。
 この混乱を終息に導いたのは、テュルク系のセルジューク朝である。セルジューク朝は、中央アジアからイラン、イラク、シリア、東部アナトリア(現:東部トルコ)へと勢力を拡大。アッバース朝から、イスラム教スンニ派のスルターンとして正式に認めらた。
 セルジューク朝の行政官はペルシア人であり、行政用語もペルシャ語であった。この頃、ペルシア文化は黄金期を迎え、文芸・科学・教育の面で多くの足跡を残す。

 で、旅日記。次の目的地は異国。なんと、船でホルムズ海峡を渡ろうという計画なのだ。この航路、旅人の間では知られているものの、利用した人は少ないようだ。まるで、カスピ海を渡る時のようである。違うのは、知り合いからの事前情報がないこと…。その代わり、船会社のWebページで情報を得ていた。
 宿のオッちゃんに、船のチケットを買いたいと言うと、チケットを買うことができるオフィスを教えてくれた。Web情報(旅人HP)では、直接、船会社のオフィスに行くとあったのだけど…。まあ、地元の人が言うんだから信じてみよう。
 チケットを買うことができるオフィスは、すぐに見つけることができた。宿のオッちゃん、イラン人(に限ったことではないけれど…)には珍しく、道を教えるのが上手だ。金曜日にもかかわらず、オフィスはオープンしているし、さっそくチケットを購入することにしよう!!!

 オフィスのスタッフは、美しい女性の方々。船会社のWebページで、明日の夜に便があるのは調査済。船のチケット購入、無事終了…となるはずであった。でも、ならなかった…。
 スタッフの方に調べてもらうと、なんと明日(土曜日)の船便はないらしい。更に、次の船便は月曜日だってさ…。おいおい、船会社さんよ、Webページをつくってるんなら、管理をちゃんとせいよ!!!
 こんなことで、めげていては世界は旅できない!!!バンダレ・アッバースの近くのバンダレ・レンゲ(Bandar-e Lengeh)という街からも、次の目的国までの船便があるはずだ。調べてもらうと、なんと、明日の便があるようだ。
 でも、10:00に出港。で、バンダレ・アッバースからは約200キロも離れているらしい…。というわけで、この船に乗るならば、5:00にはバンダレ・アッバースを出発しなきゃならないそうだ。これはハードな移動になる…。

 ここで、「そんなに急ぐことないじゃん」という声が聞こえてきそうである。そのとおりなのだ。いつもならば…。そう、問題は、すでにブッキングしている飛行機のチケットなのだ。加えて、オマーンのホストもCouchSurfingで見つけているのだ。日程の遅れは、非常に多くの問題を孕むことになる。
 日程を遅らせたくないとなれば、バンダレ・レンゲまで移動して次の目的国に向かうのが上策となる。よせばいいのに、この船、高速船のようで、4時間で到着するようである。船内泊の予定だったのに…。宿泊費が嵩む…。しかし、ここは決断の時、バンダレ・レンゲまで移動しよう。
 ところが、このオフィス、支払いはIRRでしか受け付けてくれないとのこと。マジですか〜!!!そう、明日の夜便でイランを出国する予定だったので、IRRはほとんど残っていないのだ。では、両替してくればいいとお考えのあなた、この日は金曜日。イスラムでは休日。よって、すべての銀行・両替所はクローズ…。

 こうなっては、選択肢は1つしかない。明日(土曜日)に両替をして、月曜日の船便で次の目的国に向かうことにした。宿に戻り、延泊することを伝える。もちろん、値引き交渉。成功(しかし、後日、新事実が判明する…)。
 IRRが少ないので、晩飯は、近くのナン屋でナンを買って、近くの商店で蜂蜜とチーズとコーラを買ってしのぐことに。これで、明日の食料も確保できた。
 何もない街、バンダレ・アッバースで3泊もすることになったオリエント伯爵。こんなことなら、急いで南下することなかったじゃん…。世界を旅するって、ホント、興味深いなあ〜。はぁぁ…。
 

 
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