世界旅HOME   中央アジア   キルギス   2012年8月  
 
ビシュケク ビシュケク→[車内]…オシ ビシュケク…[車内]→オシ
 

 

SAKURA GUEST HOUSE
日本人にだけでなく
欧米人にも
知名度は高い
宿の実情は
日記に書いたとおり
あくまでも
主観ですけどね!



Rywさんと

話をしていてびっくり
なんと
Isseさんの友人だった
世の中って
興味深いなあ〜



Ayyaさんと

新しいデジカメでの
初ショット
ペア・ルックですけれど
まったくの偶然です
 今日は朝早くから行動を開始する。まずは、荷物の片付け。ついに、今日から旅が動き始める。オシまでは、MooさんとItaaさんとOniさんとオリエント伯爵の4人で向かうことに。Oniさんは、Mooさんと同郷で、人生経験年数はオリエント伯爵以上の方である。
 時間までにチェック・アウトは完了。一足先に、Rywさんが宿を出発していった。Rywさんは奈良県の方。もちろん、昨夜のパーティーにも参加されている。わたしたちの出発は夜なので、時間までは宿でのんびりすることにする。この間、Itaaさんが、今夜のオシ行きのための下見をしてくれていた。こんな優しさが身にしみる。

 宿を出発する時間になった。ついに、ビシュケクとも、お別れである。ビシュケクの街は、ソグド人によってつくられた街であるとされる。ソグド人は、イラン語系に属するソグド語をはなし、遊牧民族ではなくオアシス灌漑農耕民族であった。更に、商業活動を得意とし、シルクロードを経済的に支配していたとされる。
 ちなみに、ソグド人は民族的特徴を失なって久しく、現在ではソグド人と呼ばれる集団は存在していない。タジキスタンにソグド州が存在し、同州を流れるザラフシャン河上流のヤグノーブ(ヤグノビ)渓谷で話されているヤグノーブ(ヤグノビ)語がソグド語の残存言語されるのみである。
 こうしたことから分かるように、ソグド人は現在のタジク系民族の系譜につながる人々である。

 このビシュケクにキルギス人が進出してきたのは、15世紀ごろからとされる。その後、コーカンド・ハン国の支配下に入った。コーカンド・ハン国とは、18世紀中頃に建国され、19世紀初頭に最盛期を迎える国家であり、フェルガナ盆地を中心地としたテュルク系国家であった。
 このコーカンド・ハン国も、19世紀中頃からのロシア帝国の侵攻によって滅ぼされることとなる。こうして、ビシュケク(当時:ピシュペク)はロシア帝国領となり、ソビエトが建国されるとフルンゼと改名され、キルギス自治ソビエト社会主義共和国の首都となる。
 現在のビシュケクの街並は、ロシア帝国およびソビエトの影響を強く受けている。

 そんなビシュケクから旅立つ際には、宿泊している日本人の方々に見送っていただいた。その中には、キルギスで、ほぼ一緒だったAyyaさんの姿もあった。
 Ayyaさんは、歴史雑誌の編集をされていた方である。プロだけに、歴史に関しては、オリエント伯爵の上をいってた。当然に、オリエント伯爵が少々マニアックな話をしても、楽勝でついてきてくれる方であった。
 更に、なかなかの悪女(?・笑)であり、プライベートな話もまた楽しかった。オリエント伯爵も昔は少しばかり悪いヤツ(?)だったので、その方面の話でも気が合ったな〜(と思っている)。
 なにはともあれ、何時か何処かで、再会できることを、願っております!!!

 下見をしてくれたItaaさん道案内の下、無事に、オシ行きの乗合タクシーが出発するオシュ・バザールに到着。車もすぐに見つかり、20:30にはビシュケクを旅立つことができた。
 同乗者は、日本人4人と、よく笑う女の娘と、ロシアで2年仕事をしていた青年と、途中から乗ってきたオッチャン。あとは、何に使うのか分からない自動車の部品たち…。
 部品といっても、フロント・ウインドウとかシャーシの上半分といった大物…。参考までに、フロント・ウインドウは、本来のフロント・ウインドウの上に重ねて運んでいた。雨が降ったら、すきまに雨が入り込んで大変だったね〜!

 乗合タクシーは、順調に+快調に、道路をぶっ飛ばしていく。なかなかのスピードである。車はホンダのステップワゴン。オリエント伯爵も以前乗っていたことがある。この車、ホンダ製だけあって、エンジンが、よく回るんですよね〜。
 

 
ビシュケク ビシュケク→[車内]…オシ ビシュケク…[車内]→オシ
 

Produce by "Piccolo Posto a KAZUNO"
〜 鹿角の小さな場所 〜

Contact Information : "piccolo.posto.a.kazuno@gmail.com"
Since : Aug/2024