世界旅HOME   中央アジア   カザフスタン   2012年7月  
 
アルマトイ アルマトイ アルマトイ
 

 

この日の昼飯

おそらく
カザフスタンに入国して
最も豪華な食事

カウンターで
お好みのものを選ぶ
超庶民的な店なのにね

この店の最大の欠点は
昼間しか
オープンしていないこと

味は
文句なしに美味かった
 カザフスタンに入国して、早くも5日目。この国は、1991年に誕生した比較的新しい国である。30代後半以上の方なら、「何をいまさら…」という感じであろう。しかし、20歳前後の方にとっては、まさに教科書の中の出来事でしかないのである。そうなると、記憶しているか、忘れているかという問題になる。そんな授業しかしていない、日本国内の多くの社会科教師に最大の問題があるのだけれど…。
 そもそも、カザフスタンとは19世紀後半からロシア領であった。その後ロシア革命が起こり、ソビエト社会主義共和国連邦(USSR、以下はソビエト)を構成していた15(1956年以降)あった共和国の1つである。正式名称は、「カザフ・ソビエト社会主義共和国」である。
 このソビエトという国(「ソビエト」とは「評議会」という意味)を説明するのには骨が折れる。それほど、現在の感覚(2012/07/19)では想像しづらい国家である。中国など可愛く感じられる。強いて言えば、北朝鮮に似ていると言えるかもしれない。

 旧ソビエト構成共和国への初入国を記念して、ここで、簡単にソビエトの紹介をしてみる。政治体制はソビエト連邦共産党の完全なる一党独裁。政治スタイルは、当然ながら抑圧的・非民主的であり、表現の自由は一切認められなかった。チェーカー(Cheka)、ゲーペーウー(GPU)、カーゲーベー(KGB)と続く、秘密警察の網の目が全国に張り巡らされた。体制に反対する者だけでなく、都合の悪い者、気に入らない者など、多くの国民が秘密警察によって連れ去られた。こうした行為は、「粛清」という言葉を使って表現されることがある。
 自国の現状を他国と比較されることを恐れ、国民の海外渡航は実質的に禁止された。それでも、知識人やスポーツ選手が海外渡航した際に、亡命するケースは多数みられた。それがまた、ソビエトの神経を尖らせるという悪循環であった。

 こうした政治体制は、USA・西ヨーロッパ諸国(英/仏/西独など)・日本とは相容れないものであり、「冷戦」と言われる対立を招いた。また、朝鮮戦争やベトナム戦争といった、代理戦争と呼ばれる戦争の原因の一因ともなった。それ以外にも、ベルリン危機やキューバ危機といった、もう一歩で戦争になる事態(と言い切れるかは微妙…)を引き起こした。
 日本との外交関係をみれば、第2次世界大戦末期の相互不可侵条約の一方的な破棄による満州・樺太・千島へのソビエト侵攻、その後のシベリア抑留、今も解決されていない北方領土問題があり、心理的にもソビエトへの敵対意識が強かったと思われる。

 そんな日本にも、ソビエト信奉者は存在した。当時、「左派」と呼ばていた人々である。この当時は、カール・マルクス(Karl Marx)が唱えた社会主義こそ、進歩的社会であり理想郷であるという考え方が広く信じられていた。ソビエトは、世界最初の社会主義国家であり、当時存在した社会主義国家の盟主であったのだ。
 しかし、ソビエト崩壊後、秘密のベールが剥がされると、マルクスが理想とした社会主義とは、無縁の国家であることが白日の下に晒されたのは皮肉である。当時、ソビエトを信奉した人々に、オリエント伯爵は道義的責任を感じる。前言の撤回と、深い反省・謝罪をするべきである。
 オリエント伯爵が仕事をしていた"学校"という組織には、第2次世界大戦後の歴史的背景もあり、ソビエト信奉者が多かったことで知られる。その果たした負の役割は大きい。一例を…。皆さんの中には、「農民や職人は偉くて、商売人はちょっと…」という感覚を、なんとなく抱いている方がいないだろうか?これは、偏向教育の賜である。冷静に考えれば、どんな職業に就いている人だって、等しくリスペクトすべきである。

 このようなソビエトにも強みはあった。軍事・宇宙開発・原子力・航空機・鉄道といった産業である。特に、宇宙開発では、世界初の人工衛星であるスプトニクの打ち上げに成功し、「スプートニク・ショック」という現象を西側諸国に与えた。ちなみに、スプートニク・ショックは、日本の教育現場にも大きな影響を与えたけれど、ここではふれないことにする。
 ちなみに、世界で最も人を殺したと言われる銃はソビエト製だし、世界初の原子力発電所もソビエトで建設された。ソビエトの「ミグ戦闘機」は高性能だったらしいし、シベリア鉄道は世界最長の鉄道として知られる。
 この他にも、フラッグ・キャリアのアエロフロートは低運賃で搭乗できたし、プロパガンダは一級品、スポーツ分野での活躍もめざましいものがあった。もっとも、アエロフロートの低サービスは有名だったし、プロパガンダは体制を維持するための必然だし、後にスポーツ選手の薬漬けが明るみになったのだけれど…。

 強みの産業は、すべては軍事と密接に関係していた。よって、軍事とは関係のない、一般乗用車・家電製品・消費財といった分野では散々たる事態となっていた。また、秘密主義の影響もあり、道路インフラや流通システムが未整備であった。加えて、硬直化した計画経済の下では、柔軟な経済運営ができなかったのだろう、コンピュータ分野での遅れは致命的であった。
 硬直化した計画経済によって、最も深刻な打撃を被ったのが農業であった。農業生産力は低下していった。実は、1960年以降は、強みとされた産業も遅れていくようになり、西側諸国との格差は開いていく一方だったとも言われている。
 更に、環境対策は皆無に等しく、核兵器開発を含め、産業活動によって汚染された地域は計り知れない。また、世界最大の環境破壊として知られる「アラル海問題」の原因は、間違いなくソビエトによる無謀な灌漑システムの構築であることは周知の事実である。
 そもそも、第2次世界大戦前の世界恐慌を乗り切ったとされるソビエトの計画経済。この計画経済の成功を支えていたのは、理論ではなく、無償で働かされる大量の強制労働者だったとされている。

 こんな国家が「大国」として世界に存在していたのである。世界とは驚くほど興味深いことが、こんな“負の事実”からも分かっていただけると思う。
 ちなみに、オリエント伯爵は、北海道出身ということもあるかもしれないけれど、それ以上に、思想・信条が大きく異るので、ソビエトという国家が大嫌いである。これは、左派の多かった"学校"という組織で仕事をしていた時代から変わっていない。

 で、旅の日記に…。午後から、昼飯を食べに出かける。美味かったけれど、高かった…。おかずのセレクトに問題があったかな?そのまま、ネット屋に向かう。
 前日は未完成に終わったHPのアップを行う。上りの速度が著しく遅いので、一部不完全な更新となった。この上りの速度、かなり問題があるようで、メールに写真すら添付できない…。不本意ながら、写真なしで「出入国情報」のメールを送る。Facebookへのアップは失敗…。

 カザフスタンに入国する直前、ファースト・トライしたカウチサーフィン。なんと、OKの返事が届いていた。「うっそぉ〜」。でも、仕事が忙しいらしく、土曜日に1泊だけOKということ。
 ここで、自己分析…。会いたいという気持ちは間違いない。正直、節約にもなる。節約については、結果的には分からない…。でも、出会いはプライス・レスなのだ。負担増になっても、ここは新たなる出会いをセレクトしたい。
 ただ、昼にチェック・アウトして、重いバック・パックを背負って待ち合わせ時間の夕方まで時間を潰して、翌日に再び宿に戻ってくるのは避けたい…。避けたいけれど、やっぱり、出会いをセレクトしたい。
 そんなわけで、「会って、メシ食って、酒でも飲みましょう!」という趣旨のメールを送る。返信は、「泊まりに来いよ!」とのこと。カザフスタンの人々は、本当に親切である…。これは、重いバック・パックを持ち運ぶことにしようかな〜(笑)!!!

 晩飯は近くの商店で購入。お菓子なのかパンなのか…。とっても微妙な一品。まあ、心は昼飯で満足していたので、胃袋もそんな晩飯でも問題なかったようだ。
 アルマトイでは、査証の受領を待つだけなので、信じられないくらいにゆっくりとした時間が流れている。さあ、明日は、カウチサーフィンへの最終結論を出さなければないないね!!!
 

 
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