世界旅HOME   東アジア   中国   2012年7月  
 
チョンドゥ
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→ドゥンファン
→リュウユアン
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リュウユアン
…[車内]→ウルムチ
ウルムチ
 

 

Ittaさんに教えてもらった
肉挟餅

ちなみに
中国語の漢字は少し違う



こちらは
ユンナさんに教えてもらった
ショウトゥアファン

中央アジアでは
「プロフ」と呼ばれる
 ウルムチには、ほぼ定刻に到着。早速、Icchiiさんに教えてもらい、ブッキングしていただいた宿をめざす。何の問題もなく宿に到着。問題がなさすぎて、宿が未だ開いていない…。現在の時間は7:00。しかし、非公式に使われている「ウイグル時間」では、5:00ということになる。ウイグル時間で考えると、早すぎる到着ということになるのだ。30分ほどでドアは開けられ、チェック・イン。
 IcchiiさんやTakkaさんに聞いてはいたけれど、ウルムチの街は中国化が進んでいる。これも聞いていたことだけれど、ラサ(Lhasa/拉薩)の比ではない。宿がある街の中心部では、ウイグル人の姿を見かけることが困難なほどである。このような事情から、チベットと同じように、今回の旅でウイグルを別な国として扱うことにするかは迷うところではある。

 また、歴史的背景もチベットとは異なる。チベットは1913年に締結された「チベット・モンゴル相互承認条約」において、独立した国家として国際承認を受けるための努力がされている。それに対して、ウイグルは、事実上独立状態だったとはいえ、中華民国への合流を表明している。
 1933年に第1次東トルキスタン共和国が建国されるも、その実効支配地域は、現在のウイグル自治区西部の小さな地域に限定されていた。加えて、軍隊が壊滅したことを受けて、共和国大統領だったホージャ・ニヤーズは、1934年には新疆省政府側に寝返っている。その後、ウイグルは事実上の独立状態となるけれど、その指導者は新疆省政府の盛世才であり、ウイグル人ではない。盛世才のウイグル支配は、1944年に国民党政府に支配されることによって幕を閉じる。
 1944年に第2次東トルキスタン共和国が建国されるも、その実効支配地域は、現在のウイグル自治区北部の小さな地域に限定されていた。加えて、共和国はソビエトの影響力が強く、現在の感覚でいえば、ソビエトの傀儡政権とみることも可能である。1949年、中国共産党軍のウイグル侵攻によって、第2次トルキスタン共和国は滅亡する。なお、一連の流れには、ソビエト政府の意向がはたらいていたと思われる部分も多い。

 現在の運動も、ダライ・ラマをトップにすることで一本化しているチベットとは異なる。1992年にはリザ・ベキンにより「東トルキスタン民族会議」が結成され、1996年にはドルクン・エイサにより「世界ウイグル青年会議」が結成された。
 2004年に両者は「世界ウイグル会議」として合流・再編されるものの、その方針を独立の放棄と考えるグループらが、同年に「東トルキスタン共和国亡命政府」を発足させることになる。

 以上、現在のウイグル自治区の実情、歴史的背景、運動の様子を考慮して、今回の旅では、ウイグルを別な国として扱うことにはしないこととする。
 ただし、このことが、現在の中国のウイグル支配を正当であると認めるものではないし、更に、その手法を肯定するものではない。このことは、強く主張しておきたい。

 さて、旅日記に戻ろう。あまりにも順調に進んだので、まだ時間が腐るほど残っている。そこで、ウルムチでの最大のミッション、カザフスタン査証の取得にとりかかることにする。
 まずは、カザフスタン領事館(厳密には領事館ではない)に向かう。バス停までは順調だったものの、領事館の場所を探すのに苦労する。親切な中国人に教えてもらった場所は停電中…。当然にエレベーターが動いていないので、14階まで階段で上るものの、ここではないと思われた。その後も、何人かの中国人に聞きまくり、やっと領事館に到着。どうも、査証取得とは相性が悪い…。
 「日本のパスポートを持っていると優先的対応を受けられる」という情報は正しく、並んでいる人たちがいるのに内部に入らせてもらえる。ところが、違う場所で申請用紙を受け取ってから、ここにきて申請するシステムらしい。そこで、申請用紙を受け取るために場所を移動する。またまた、道に迷う…。本当に、査証取得とは相性が悪い…。

 やっと、申請用紙を取得。ここでも、申し訳ないくらいに、優先的対応を受けることができた。ちなみに、申請用紙を取得するといっても、紙をもらうわけではない。
 PCを操作する係員の前に座り、いくつかの質問に答える。係員は、それを聞いてPCを操作。最終的には、必要事項がすべて書かれた用紙がプリントアウトされる仕組みなのだ。ネット情報によると、ウズベキスタン査証も、必要事項を書き込んだ申請用紙をプリントアウトする仕組みのようである。ただし、こちらの国は自分で打ち込むようだ。

 申請用紙を受け取り、領事館に戻る。再び、優先的対応。カザフスタン査証の申請での最大の関門は、これから始まるのだった(笑)!!!
 日本人にとっては、比較的イージーとされるカザフスタン査証。オリエント伯爵は、心の準備もなく窓口へと向かった。係官が質問してくる。この英語が理解できない!!!理由は簡単で、心の準備がなかったことと、旧ロシア圏英語の発音が聞き取りにくかったことである。もちろん、根本的理由は、オリエント伯爵の言語力であるのだけれど…。
 まったくと言っていいほど英語での会話が成立しない。ついに係官は怒りだし、「ノー」と言って申請用紙を突き返してきた。いやいや、困ったことである(笑)。チョンドゥで心が癒されていたオリエント伯爵は、心の余裕を完全に取り戻していた。チョンドゥに寄って、本当に良かった!
 優先的対応をしてくれた中国人の警察官に、「彼の英語が理解できないんだ。で、彼は怒っちゃった。」と笑顔で伝える。もちろん、“困ったなあオーラ”も一緒に伝える。
 彼とは英語でコミュニケーションが取れているので、中国人の警察官は不思議そう。そこにいたウイグル人の女性も、オリエント伯爵の話した英語が普通に伝わったようで、周りの中国人に中国語で通訳しながら「困った係官ねえ〜」というジェスチャー。そう、笑顔でいれば、仲間が増えるんだなっ!!!

 実は、オリエント伯爵にも問題があったのだけれど、係官の英語にも問題があった。最初の質問が「ホワット・アー・ユー・フロム」だったくらいである(笑)。これで、ペースが乱れたことも確かなのだ。重ねて言うけれど、それくらいでペースを乱されるオリエント伯爵の語学力に、改善の必要があることは間違いないのだけれど…(笑)!!!
 ちなみに、正しくは「What」ではなくて「Where」。言い直した係官に対して、オリエント伯爵は「ドゥンファンから」と答える。でも、係官が欲しかったのは「ジャパン」という答え。経験上でしか言えないのだけれど、どっちのパターンの答えもあるんだよね〜(笑)。
 ちなみに、怒りだしたのは、「カザフスタンは初めてか」という質問。分かりづらかったので、何回か聞き直し、「初めてだよ」と答えたんだけど係官の耳には達しなかったよう…。えっ、違うの?と思ったので、違う答えをいくつか言ったのがマズかったなあ〜。

 怒りだした質問が「カザフスタンは初めてか」に間違いないだろうことを思い、再チャレンジ!!!本当に、この係官、話を聞いていない。「日本のどこの出身だ」と聞かれたので、「北海道」と答え、「北の方だよ」と付け加える。次の質問が、「どこにあるんだ」だもんね〜。
 そんな質問がくるとは思っていないので、てっきり違うことを聞いているんだと思ってしまう。この時は、「Where there」と質問したらしいけれど、「Weather」と間違った。「北の方だよ」と言った後だけにね〜。
 こんなコントのようなやり取りがあり、無事(?)に査証の申請は終了した。5営業日が必要との情報もあったのだけれど、3営業日で取得できるようだ。係官、用紙を提示しながら「分かるのか」的な態度。大丈夫、あなたの発音が聞き取りにくかっただけだから!!!
 とはいうものの、オリエント伯爵の語学力、英語圏が近づいてくると決定的にアカンかもなあ〜。
 

 
チョンドゥ
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