
洛陽易家国際青年旅舎

ルオヤンの城壁と門

ルオヤンの旧市街

快適な高速鉄道

広大な畑がひろがる

現役とおもわれる横穴

ホワシャン(華山)
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トゥイン・トゥインさんも
ルビーさんも
オススメの山
(険しいらしい)

シーアンの鐘楼 |
本日は、珍しく日中の移動である。ルオヤン〜シーアン間が、夜行列車を利用するには短すぎるのだ。まずは、高速鉄道が発着する洛陽龍門駅まで、市内バスで移動する。 バスは、洛陽の住宅街を抜けていく。高級なアパートメントが立ち並んでいた。洛陽の異なる顔を見ることができたのは良かったけれど、運転手が驚くほどの安全運転。間に合うかな…。心配になったので、途中で運転手に確認すると大丈夫とのこと。 運転手の言葉どおりに、列車の出発前に洛陽龍門駅に到着する。駅の周囲にはなにもない…。ポツンと駅舎だけが建っていた。日本の新幹線新駅と同じ感覚かな?
高速鉄道での移動は、予想以上に快適だった。速度は時速240キロ以上をマーク。 車窓からの景色も素晴らしく、「黄土地帯」をじっくりと見ることができた。いまだに横穴が点在し、一部は現役の住居として使われているようなのには驚いた。
ルオヤンもシーアンも、中国の都が置かれた古都である。「洛陽」と「長安(中国語読み:チャンアン)」と言った方が分かりやすいかもしれない。 中国大陸で「殷王朝」が隆盛だったころ、「豊邑」を都とする「周」という国が存在した。殷王朝の衰退とともに周は力を増し、殷王朝を滅ぼし「周王朝(西周と呼ばれる)」を建てた。その際、都は「鎬京」に遷都された。BC1000年ころの出来事である。この「豊邑」・「鎬京」はともに、現在のシーアンに位置している。 BC770年、西周の王が殺害されたことから、時代は春秋戦国時代へと移行する。周も1つの国となり(東周と呼ばれる)、都は「洛邑」へと移された。この「洛邑」が、現在のルオヤンである。
BC221年、春秋戦国時代の幕を引いたのが、始皇帝(政王)で有名な「秦王朝」である。秦王朝の都は「咸陽」に置かれた。「咸陽」はシーアンに隣接する都市である。 秦王朝の隆盛は長くは続かず、BC202年、「漢王朝(前漢)」が建てられ、「長安」に都が置かれた。「長安」は現在のシーアンに位置している。前漢は一時期、「新王朝」に帝の地位を奪取される。しかし、すぐに「漢王朝(後漢)」は復興される。後漢の都は「洛陽」に置かれた。184年の黄巾の乱以降、後漢の衰退は続き、『三国志』で有名な魏・呉・蜀の三国時代となる。「魏王朝」の都は「洛陽」に置かれた。
280年、中国大陸を統一したのは、魏の地盤を引き継いだ「晋王朝(西晋と呼ばれる)」である。都は「洛陽」であった。王の堕落から西晋は短命に終わり、291年から始まる八王の乱を契機に五胡十六国時代へと移り変わる。晋王朝は、王族の一人によって華南の地で再建される(東晋と呼ばれる)。 華北では混乱が長く続き、ようやく、439年、鮮卑族(モンゴル系)の「魏王朝(北魏と呼ばれる)」が華北を統一する。南北朝時代の始まりである。 493年、北魏の都は「洛陽」に移される。その後、北魏は分裂(東魏と西魏と呼ばれる)し、東魏は「斉王朝(北斉と呼ばれる)」に、西魏は「周王朝(北周と呼ばれる)」に取って代わられる。577年、北周が華北を再統一する。都は「長安」に置かれた。 華南では、420年に東晋は「宋王朝(劉宋と呼ばれる)」に、479年に劉宋は「斉王朝(南斉と呼ばれる)」に、502年に南斉は「梁王朝」に、557年に梁は「陳王朝」に取って代わられる。
581年に北周は「隋王朝」に取って代わられ、589年、中国大陸は隋によって統一される。都は「長安」に置かれた。618年、隋は「唐王朝」に取って代わられる。都は「長安」に置かれた。 長きに渡って中国大陸を支配した唐であったものの、874年の黄巣の乱以降、唐は1つの国にすぎなくなり、五代十国時代の幕開けとなる。979年、「宋王朝(北宋と呼ばれる)」により中国大陸は統一される。北宋の都は「開封」に置かれ、これ以後、ルオヤン・シーアンに都が置かれることはなかった。
こうした歴史あるルオヤンとシーアンを結ぶ高速鉄道は、無事に西安北駅に到着。ピッカピカの地下鉄で市街まで移動する。宿も決まり、代理店で次の目的地までの列車チケットをゲットすることにも成功した。この旅で初めて、中国での列車チケットの購入の際に英語が通じた。やはり、シーアンは中国が誇る一大観光都市である。 街をぶらぶらと散歩する。シーアンの街は、ルオヤンと比べると、驚くほど都会であり近代的である。おそらく、現在の市街地とチャンアンの位置がズレていることも原因なのではと思ったオリエント伯爵であった。 |