世界旅HOME   東南アジア   ラオス   2012年3月  
 
パークセー パークセー→[車内]
…ヴィエンチャン
パークセー…[車内]
→ヴィエンチャン
 

 

Fang Sedon GUEST HOUSE
 昨日と同じく、午前中は宿でゆっくりと過ごす。早い話が、チェックアウトの12:00ぎりぎりまで宿に滞在していたのである。この宿のスタッフには、どうしても信用が置けないので、バックパックを持って宿を出る。このようなことは、この旅で初めてである。
 誤解のないように付け加えておくけれど、オリエント伯爵は昨日からのスタッフの対応に怒っているわけではない。「国が違うと、こんなことも、あるんだね〜」と思っているだけである。これこそが、「出来事を楽しむ」の精神である!!!

 昼飯は、仏領インドシナの正の遺産である“サンドイッチ”。これが、安価で美味いのである。旅人には重宝する食べ物だ。
 仏領インドシナとは、帝国主義が横行していた時代の東南アジア(正式には広州湾租借地[中国]を含む。ここでは割愛)におけるフランス植民地の名称である。その領域は、「カンボジア」、「ラオス」、「ベトナム」におよんだ。
 フランスの侵略は、1858年から始まり、1862年にサイゴン条約を締結、サイゴンにコーチシナ総督府を設置する。その後、1863年にカンボジアを保護領(カンボジアが望んだ)とし、1867年にはベトナム南部を完全に武力制圧。1887年、新たにハノイにインドシナ総督府を設置し、現在の「カンボジア」と「ベトナム」を領域とする、仏領インドシナが成立した。当時の日本では、1867年、大政奉還が行われている。そして、当時のラオスは、タイの属領となっていた。

 時代を遡ること数百年。1353年、ラーンサーン王朝がメコン川上流に誕生する。1574年、ビルマ人のタウングー王朝に占領されるものの、再び独立に成功。しかし、1706年、王位継承問題に端を発し、ルアンパバーン王国が独立を宣言し、ラーンサーン王朝はヴィエンチャン王国とルアンパバーン王国に分断される。
 更に、1713年、チャンパーサック王国が分離独立。こうしてラーンサーン王朝は、三王国に分断されることとなった。こうした背景には、ラーンサーン王朝の弱体化を狙うタイのアユタヤ王朝の計略があったとされる。
 1767年、ビルマ人によってアユタヤ王朝は滅亡したものの、翌年にはトンブリー王朝が建設された。このトンブリー王朝によって、1777年にヴィエンチャン王国、1778年にルアンパバーン王国、1779年にチャンパーサック王国が属領にされた。
 1782年、タイでは、トンブリー王朝に代わってのチャクリー王朝が誕生した。1828年、独立を試みて失敗したヴィエンチャン王国が事実上滅亡する。

 こうした背景をもつラオスであるから、仏領インドシナに組み込まれるまでの経過は他2カ国とは異なる。1893年、ラオスを巡って、フランスとタイの間で仏秦戦争が勃発。この時代、対象国(仏秦戦争の場合はラオス)の意思とは無関係な戦争は数多い。母国日本だって、朝鮮半島を巡って、清(現在の中国)やロシアと戦争をしている。
 この仏秦戦争は、フランスの勝利で幕を閉じ、1905年、ラオスの保護国化が完了した。こうして、仏領インドシナが完成したのである。

 さて、話を旅に戻そう。仏領インドシナの正の遺産である“サンドイッチ”はスタンド・ショップで購入。道端で食した後(行儀がよくないけれども御勘弁!)、昨日も訪れたCafeへと向かう。
 昨日とは違い、インターネットのスピードが速い!!!いったい、昨日は何があったんだ…いや、今日はどうしたんだと言うべきか?いやいや、きちんと途中から遅くなったとさ!!!
 その後、時間つぶしを兼ねて晩飯。偶然に、2人の日本の方に会って話をする。やっぱり、母国語だと話がしやすいな〜。お二人の話しをうかがうと、同じようにラオス国境(別の場所)では賄賂を要求されたとのこと。しかし、欧米人を含めて全員払っていたようである。う〜ん、日本人は無料だったと思うのだけれど…。
 食事をした後、ヴィエンチャンまでの寝台バスに乗るために、バスターミナルへと向かうオリエント伯爵であった…。
 

 
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