
「OSAKA」という名の麺屋

日本語教室の生徒さん

親子で!!!

シュェミェッマン・パヤー

シュエサンドー・パヤー |
今日は朝早くから、MitsuさんとMiiさんとともに、スィー・トゥさんの合気道教室を見学させていただく。教室には、たくさんの子どもたちが参加していた。この教室で学んだ“精神”が、子どもたちの未来に活かされることを願ってやまない。 ヤンゴンに戻るMitsuさんとは、ここでお別れ。ミャンマー情報を教えていただいたり、宿の予約をしていただいたり、とてもお世話になった。特に、ピィで紹介していただいた方々は、本当に素晴らしい方ばかりであった。改めて、お礼を言いたい。「ありがとうございました」。 合気道教室が終わると日本語教室が始まる。今日の生徒さんたちは、若い女性たち5名。大学を卒業してすぐや大学院に通っている方が、対象のようである。この日も、簡単な自己紹介をさせていただく。
この日は、シュエナッタン・パヤーという寺院で“お祭り”があるとのこと。U先生、日本語教室の生徒さん(スィー・トゥさんも)、チョ・ソウさん(U先生の友人:昨日も一緒に宴に参加)、Miiさんと、車をチャーターして向かう。 寺院の周辺は大混雑。1年に1回の祭りとあって、近郊の田舎からも人がやってくるそうだ。その人達を見こんでの出店なのか、その人達が出店しているのか、数多くの露天が混雑に拍車をかける。日本とは違い、生活用品の露店が多く、地元の方も商品を吟味して普通に購入している。日本語教室の生徒さんが最も関心を示したのは、アウンサン親子のグッズ販売店であった。
父親であるアウンサン将軍は、1915年生まれ、英領インドからのビルマ独立をめざして戦い「ビルマ建国の父」と呼ばれる。日本軍の支援を得て創設されたビルマ独立義勇軍の中心メンバーの1人であり、ビルマ防衛軍でもビルマ国民軍でも司令官(軍のトップ)を務めた。 日本政府によるビルマ独立が名目に過ぎないことが明らかになってくると反日傾向を強め、1945年3月、日本軍への全面攻撃を開始させた。アウンサン将軍の決断には、インパール作戦での大敗北も影響していたと言われている。 1945年6月、イギリス軍とともに日本軍をビルマから駆逐。しかし、イギリスはビルマの独立を認めずに、英領ビルマの再建に着手する。ビルマの完全独立を願うアウンサン将軍は、イギリスとの交渉を重ねていた。その最中の1947年7月、テロによって、生涯を閉じることを余儀なくされたのである。
アウンサン将軍の暗殺後の1948年1月、ビルマは独立を果たし、アウンサン将軍の後を引き継いだウー・ヌが初代首相に就く。しかし、カレン族の独立闘争、ビルマ共産党の政権離脱、中国国民党軍の残余部隊によるゲリラ闘争、アメリカ合衆国のCIAによる中国国民党軍への支援、キリスト教支配地域の強い反発と、国内が不安定な状況が続くことになった。 1962年、ビルマ独立義勇軍のメンバー(非主流派)だったネ・ウィン将軍が軍事クーデターを起こし、ビルマの全権を掌握することに成功する。1988年3月、ネ・ウィン政権の経済政策に反発に端を発したとされる、「8888民主化運動」が激化。その象徴となったのが、アウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチー氏である。1991年には、アウンサンスーチー氏に対して、ノーベル平和賞が贈られている。
話を旅に戻そう。アウンサン親子のグッズ販売店を後にした一行は、シュェミェッマン・パヤーへと向かう。“メガネをかけた大仏”があることで有名な寺院である。この寺院前で日本語教室の生徒さんにご馳走になった“棒にささったかき氷”は、今まで食べたかき氷の中で最高ランクの一品であった。 夕方になり、昼間とほぼ同じメンバーで、ピィの街中にあるシュエサンドー・パヤーに行く。満月が近いということで、この寺院でもお祭り!すごい人出だった!この寺院では、誕生曜日ごとにお参りする場所が違うようで、地元の方に混じってオリエント伯爵も自分の誕生曜日の場所でお参りをする。 ピィでの最後の夜は、屋台街で食事。いつものことながら、美味いんだよね〜!!!ピィでの食事はU先生にご馳走になりっぱなしだったので、最後の夜こそは少しばかりでも支払おうとするも、U先生から「大丈夫」との一言…。オリエント伯爵とは“役者が違う”…。と思っていたら、この日の支払いは、日本語教室の生徒さん(の親御さんとスィー・トゥさんも)が支払ってくれたとのこと。オリエント伯爵とは“役者が違う”…。
次の目的地までの列車は、ピィの郊外にある駅に発着する。スィー・トゥさんがバイクで送ってくれることに。チョ・ソウさんとMiiさんも見送りに来てくれる。 列車が遅れること1時間強。それに加えて、列車の修理のために駅に滞在すること30分弱。オリエント伯爵のために3人は、なにもない駅で待っていてくれた。1人旅をしていると、こうした“心からの思いやり”が身にしみる。列車が動き出し、ついに別れのとき…。柄にも無く、とても悲しい気持ちになったオリエント伯爵であった。本当に、本当に、本当に、ありがとうございました。 |