


コトルの街並

城塞から見たコトル

城塞から見たコトル湾



コトルの城塞

暑かったし 1人だったので |
朝起きて、身支度を整える。どうやら、雨は止んだようだ。実は、昨日の夜には、再び大雨が降っていた。“晴れ男伝説”は幕引きかと思っていたのだけれど、まだまだ大丈夫みたいだ!!! コトルの街に繰り出す。この街は、オリエント伯爵基準の世界遺産なのだ。なかなかに、イイ感じの街である。ヨーロッパの古い街の定番なのだけれど、この街の起源もまた古代ローマ帝国に由来するらしい。しかし、現在の街の形成に大きな影響を与えたのは、ヴェネツィア共和国である。約4世紀に渡って、この街はヴェネツィア共和国の領有地となっていた。 そのことが原因なのかは分からないけれど、この街はイタリアの匂いがする。もともと、アドリア海沿岸は、イタリア文化が浸透した地域なので当然といえば当然なんだけれど…。
この街、正直、街の中を歩くだけでは、大きなインパクトはない。おそらく、幾度かの地震によって、街が崩壊と再建を繰り返しているからかもしれない。ちなみに、もっとも新しい大きな地震は1979年に発生している。 この街の最大の魅力は、背後にそびえる城塞から見た街の風景だと思われる。コトル湾の奥にひっそりと佇む、オレンジ色の街コトル。それはまるで、玩具のように可愛らしいのだ。 時折、陽射しもさし、この時期としては文句なしの天候。しかも、オフシーズンの早い時間だったために、貸切状態だったこともイイ気分にされてくれた大きな要因だった。 城塞からの眺めに満足して、街の中に戻る。もう少し、素敵な時間の中に浸っていたかったのだけれど、嫌な感じの風を感じたのだ。きっと、天気が悪くなるに違いない。そうそう、観光地としての「コトルの自然と文化−歴史地域」の評価は、「★★★☆☆」である。星4つにするか迷ったのだけれど、落ち着いて考えると星3つが妥当なところかな…。
街を少しぶらつき、バスTに行くことにする。次の移動の確認である。ここで衝撃の事実。明日は日曜日。この国では、日曜日にはバスの便数が減るらしいのだ。こんなところにも、イタリア文化が…。 この時点では、明日に移動するのか、明後日に移動するのかは白紙。でも、明日の移動は乗り換えが多く、国境通過もあるので、リスクは少なくしたいのが本当のところ。 これで、この宿がもう少し快適だったら、即決で延泊を決めていたところなんだけれど…。悪い宿ではない。スタッフも悪い人ではない。ただ、社会主義を経験してしまった国に共通のことなんだけれど、経済学で言うところの“サービス”という言葉を理解できていない。
ちなみに、宿に戻ってきたあたりで、再び雨が降りだした。どうやら、お天気の神様は見方についてくれているようだ。お天気の神様は見方のようだけれど、宿のスタッフの中で1人だけ完璧にアカン奴がいる…。 “サービス”がイマイチなのは書いたとおり。5EURを支払っての洗濯は乾燥が不十分。部屋の冷蔵庫も動かないまま。スタッフが我が物顔でキッチンを使いゲストが使えない。ただ、こんなことは、“よくあること”なので問題にはしていない。 ここのサブ・マネージャーの態度が悪すぎるのだ。これも“サービス”というものが分かっていないからなんだろうけれど、こちらの感情を逆なでするような態度にはウンザリである。ホントに、腹が立つ。 これが個人的感想ではないのは、同部屋だったアジア系オーストラリア人も同じことを言っていた。もしかすると、アジア系を蔑視しているのかもしれない。だとすれば、ヨーロッパで初めての体験となる。でも、宿のオーナーは日本人が好きだと言っていたし、この宿には多くの日本人が宿泊しているので、単にサブ・マネージャーがアカンだけだと思われる。
そんなわけで、明日は移動することにした。ただし、国境越えは明後日とする。国境近くの街まで移動して宿泊することにした。宿泊費は高くつくけれど、精神衛生上、このままこの宿に宿泊するのは良くない。 更に、交通の便が悪いことが予想されるので、国境の近くまで移動することは、次の移動を考えると単純に良策だと思う。多分…(笑)!
結局、この日はキッチンを使うことができずに、晩飯を食べることができなかった。う〜ん、この宿、絶対にリピーターにはならないなあ。もちろん、サブ・マネージャーが馘首になれば、話は変わってくるかもしれないけれどね!!! 晩飯を諦めた分、アルコール摂取量が増えてしまった…。旅先で、宴でもないのに1晩に4.5リットルも飲んじゃアカンなあ…反省、反省。摂取量が増えた原因には、きっとイライラしていたことも含まれると思う。早くトルコに行って日本人宿でゆっくりしたいなあ〜。 |