
オーナー夫人

こんな感じで手洗い

外に干してみる
バックパックも干してみる
もちろん洗ってはいない |
旅の行程は、スリランカでの滞在日数に余裕をもって組んでいる。予想以上に順調に旅が進んだので、どこかでロング・ステイする必要がある。ポロンナルワの旧市街は、静かであり、落ち着いている。なにより、宿がきれいであり、水がきれいである。そこで、宿のオーナー夫人にディスカウント交渉をすることに…。
交渉の結果、ちょっぴりのディスカウントに成功!!!宿の価格が高額(比較の問題です…)なスリランカでは、少しでも宿の価格を節約したかったのである。交渉締結後、もうちょっと安くガクンとランクの落ちる部屋や、同額でも少々ランクの落ちる部屋を勧めるのは商売人としては当然の行動。オーナー夫人、オリエント伯爵は、今の部屋でOKで〜す!!!
今日は、日曜日、そして外は“お天気”!!!これは、洗濯日和というやつではないか!!!今までは、宿に併設のコイン式洗濯機や、宿のランドリー・サービスを使っていた。しかし、スリランカでは、どちらも見ていない。
そこで、自前の折りたたみ式バケツと昨日購入した洗剤を使って、手洗いでの洗濯と洒落こんだ。う〜ん、予想以上に汚れているもんだな…。日本では、同じ下着を2日連続で着るなんてしたことがなかったけれど、旅に出てからはそんなことも言っていられないもんな…。心身だけでなく、モノだってハードな60日間を送ってきたんだな〜と実感するオリエント伯爵でした。
酷使していた衣類やバックパックを労ることにする。すべての衣類を圧縮袋から出して部屋の中で陰干し。バックパックは、洗濯物と一緒に外で日光浴!外に洗濯物を干すなどということができるのも、スリランカ(ポロンナルワ:宿の周辺)の治安が良いからである。
洗濯をしたので、コンサドーレ札幌のニユは、今日で一旦お別れ。よって、「一目見て日本人と分かる」作戦も終了となった。この作戦、遂行してすぐに重大な欠点があることに気がついた。スリランカの方は、日本の文字を見ても日本人とは分からないのだった…。もちろん、コンサドーレ札幌のエンブレムから日本人と分かるはずもない…。この国は“クリケット”なるスポーツが盛んな国(サッカーが盛んでも分からないかな?)なのだ。なんたるミステイク…。
こうして、「一目見て日本人と分かる」作戦は失敗となった。しかし、日本人に対するスリランカの方の“リスペクト”の大きさには驚きを通り越して、こちらの身が引き締まる思いであった。どこから来たと聞かれた時に「日本人だ」と言うだけで、「そうか、おまえはいい奴だな」と返ってくる。2004年の津波被害に対する援助だけでなく、長い年月をかけた両国の信頼関係を感じさせる。
2011年3月11日の東日本大震災の際にも、スリランカは行動を起こしている。しかし、多くの日本人が知らないであろうエピソードが、日本とスリランカの間にはあるのである。約60年前の1951年、52カ国が参加したサンフランシスコ講和会議の席上、スリランカ(当時:セイロン)代表のジャヤワルダナ氏(当時:蔵相/大統領制に移行後の初代大統領)の演説内容をご存知だろうか?オリエント伯爵は、スリランカを旅するための下調べをするまで知らなかった。
演説の中で、ジャヤワルダナ氏は、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないでほしい」と述べた後、「憎悪は憎悪によって止むことはなく慈愛によって止む」というブッダの言葉を引用して賠償請求を放棄したのである。こうして、日本を含む49カ国が署名したサンフランシスコ平和条約においては、賠償は役務賠償のみとなった。
ジャヤワルダナ氏は、政界引退後も日本との関係を大切にし続け、大喪の礼(1989年)には大統領に代わって参列。その際、日本は、元大統領でありながら、特別に元首・大統領と同格の国賓として待遇した。1996年に死去した際には、網膜の片方が日本に送られた。
良好な両国関係を構築するとは、いかなることなのか?良好な両国関係を構築するためには、いかにすべきなのか?
これらのエピソードは、そうした問に対する、1つの解答を含んでいるような気がする。 |