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カンボジアと聞くと、多くの日本人は“カンボジア内戦”を連想するであろう。“カンボジア内戦”について簡単に…。
1965年、USAが北ベトナムへの空爆を開始すると、当時国家元首だったシハヌークはUSAと断交を宣言する。1970年、ロン・ノル将軍がクーデターを起こし、親米政権が誕生した。カンボジア国内の共産勢力を殲滅するために、ベトナム系住民を迫害・虐殺。更に、USA軍のカンボジアへの侵攻を許可し、激しい空爆も行われた。この結果、カンボジアの農業インフラは壊滅した。 1975年、サイゴン陥落の数日前、ポル・ポト率いるクメール・ルージュの手によってプノンペンは陥落した。クメール・ルージュは、富裕層・知識層・留学生などを迫害・虐殺するとともに、共産勢力につきものの内部粛清も始まった。 1978年、ポル・ポト(親・中国)はベトナム(親・ソ連)に爆撃をするものの、ベトナムの後ろ盾を得た(実質は傀儡)、ヘン・サムリンに侵攻を許す。1979年、クメール・ルージュ体制は崩壊し、中国のベトナム侵攻も失敗に終わった。 この後、ベトナムの後ろ盾を得たヘン・サムリン政権と、ポル・ポト派、シハヌーク派、ソン・サン派(ロン・ノル系)の三派連合政府との間で戦いが続いた。 1985年、三派連合政府の軍事力は、ベトナム軍によりほぼ壊滅させられた。しかし、ベトナムのトップが代わるとベトナム軍は撤収を始め、1989年にベトナム軍が完全撤退した。 こうして、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAK:事務総長は日本人の明石康)が活動を始め、1993年、ポル・ポト派以外の三派が参加して総選挙が行われた。1998年にはポル・ポトが死去。約15年前の出来事である…。
そんな悲惨なカンボジア内戦の跡を、今のプノンペンの日常から見つけることは難しい。既に、カンボジア内戦は過去の歴史の1ページとなり、1歩1歩、成長していることを感じる都市である。 人々の表情は明るく、時間はのんびり流れる。ポル・ポトによる知識層の根絶の影響なのか、50歳以下の人々の活力を強く感じる。彼らが、この国を、この街を創ってきたのだろう。
今日のミッションは、バスのチケットをゲットすること。散歩がてらに旅行代理店をのぞいてみる。結局、宿泊しているゲストハウスに頼むことにした。安い…安い…、不安になるほど安い…。アクシデントの予感がプンプンする。さて、さて、明日の移動はどうなることやら…。 部屋でのんびりしていると、ノックが…。これは、強盗か?もしかすると、女性の斡旋か?完全に“チキン”と化すオリエント伯爵…。本来、気の弱い生き物のようだ…。 ドアを開けると、Mikiさん&Emiさんだった!安心のオリエント伯爵であった。次に向かうバスやゲストハウスの情報を伝えに来てくれたのである。ありがたい事である。
夕方になり、近くの食堂で簡単に食事をする。昼飯なのか?晩飯なのか?まあ、元気になってきたし、晩飯としよう! またまた、部屋でのんびりしていると、ノックが…。ついに、強盗なのか?今度こそ、女性の斡旋なのか?再び、完全に“チキン”と化すオリエント伯爵…。やっぱり、気の弱い生き物のようだ…。 ドアを開けると、Mikiさん&Emiさんだった!「お〜い。晩飯、食べに行くぞ〜」との声。そして、ココアのお土産。既に空腹感を覚えていたオリエント伯爵は、もちろん一緒に行かせていただいた。うまい飯に楽しい話。2日続けて、素晴らしい時間を過ごさせていただいた。やはり、スケールがでかい!!!ビックだ〜!!! 今晩は、昨晩のお礼にオリエント伯爵が支払いをと考えていた。しかし、またまた、Mikiさん&Emiさんにご馳走になってしまった。言ってしまえば、人間の格が違うのである。Mikiさん&Emiさんの前では、オリエント伯爵など“子ども同然”であった…。 日本にいた時には、オリエント伯爵とて、そこそこの存在だと考えていた。そんな自分を恥ずかしく思う。世界は広い。世の中も広い。まだまだ精進が必要であることが、口だけではなく実感として身にしみる旅である。
Mikiさん&Emiさん、ご馳走になったことはもとより、たくさんのことを考えさせていただき、ありがとうございました。遅々とした歩みであるとは思います。でも、1歩1歩、成長していきます。そう、この国のように…、この街のように…。 |
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